「偶然」の豊かさを失わないために 私たちが警戒すべきこと

有料会員記事

編集委員 吉田純子
[PR]

記者コラム 多事奏論

 孤独の果てを見る気がする。無関係の他人を巻き込み、自らの命を絶とうとする惨事が相次いでいるこの世界に。

 いずれの事件にも共通するのは、容疑者が周到な準備を重ねていたことだ。その数日間のどこかで、あるいは現場に向かう道のどこかで、思い詰めてはちきれそうな彼らの心をノックし、ああ、なんてばかばかしいことをしようとしていたんだ、と我に返らせてくれる「偶然」との出会いがなかったことに、とても暗い気持ちになる。

 コロナの来襲を受け、人間たちが出した対抗策は、あらゆる偶然の排除だった。2年もの間、偶然がもたらす豊かな出会いや連なりは、「不要不急」「自己責任」などという体温のない無機質な言葉によってないがしろにされてきた。そして、私たちはその状態に、ずいぶん慣れてしまった。

 酒場を訪れる目的は、酒だけではない。同じ場所を選んで集う人々のたわいもない会話、彼らの振る舞いなどが、自分自身の嗜好(しこう)や傾向を確かめる鏡になる。見知らぬ人たちと抱き合うフリーハグや、街中で突然複数の人間が束になって踊り出すフラッシュモブが、まるで夢の中の出来事だったように思える。あれは「偶然」が生む出会いを自ら創出する、若者たちのもどかしくもけなげな挑戦だったのかもしれない。

 忘れられない事件がある…

この記事は有料会員記事です。残り993文字有料会員になると続きをお読みいただけます。