「匂いの帝王」に送った香水、評価は… パルファンサトリの和の感性

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聞き手・松本紗知
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 欧米に比べて香水文化になじみが薄く、香水に苦手意識を持つ人も多い……。調香師の大沢さとりさん(63)は、そんな日本に拠点を置き、日本の風土に合った香りを追求してきました。日本の伝統や感性を生かした香水は、国内外で評価され、“匂いの帝王”が著した「世界香水ガイド」にも掲載されています。大沢さんに、調香にかける思いを聞きました。

 ――調香師を志したきっかけは?

 「志した」とは少し違うかと思うのですが、好きなことを続けていったら、自然と自分のブランドが必要だったんです。

 小さいころから植物が好きで、学校から家までの帰り道に、ポケット植物図鑑を片手に道草をするような子どもでした。母が自宅で華道教室を開いていたので、生徒さんに交じって見よう見まねでお花を生け始め、園芸にも関心を持つようになりました。

 そのなかで、香りのある植物に出会い、そこからフレグランスに興味を持って、香水、調香の道に入ったのは、自分としてはごく自然な流れでした。

 ――1988年から香水を学び始め、98年に、世界的な香料メーカーでの勤務経験もある調香師・丸山賢次さんに師事。2000年に、ご自身のサロンを東京・代々木に開きました。

 最初は自分で、本などを読んで香りについての勉強をしていました。そして、日本の香水の学校で丸山先生に会い、丸山先生のもとで調香を学びました。

 00年に開いたサロンは、いわゆるショップではなく、オーダーメイドの香水を販売して、香りの好きな人が来る場所、といった形で始めました。同時に、教室も開いていたので、そこで香水にまつわることを教えたり、イベントや展示会にも積極的に参加したりして、少しでも香りの世界をみなさまに知っていただけるような活動を10年近くやっていました。アーティストのコンサートグッズの香水を作ったり、箱根ガラスの森美術館の記念香水を作ったり、そういった仕事もしていました。

 ――02年に「夜の梅」、04年に「さくら」、05年に「苔清水(こけしみず)」……と、自身の作品を発表していきました。

 サロンを運営しながら、こうして自分の作品も少しずつ出していきました。09年に、大手の通販雑誌がうちの香水を取り上げてくださって、それが大変よく売れまして。安定的な売り上げが見込めると考え、09年に会社を設立しました。

深呼吸できるような香り

 ――香水作りにおいて大切に…

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