メダルとの差は、たった0・60点。「本当に悔しいです」。大粒の涙をこぼしながら、川村あんりは絞り出すように語った。
メダルを懸けた最後の決勝3回目。第2エアの「コークスクリュー720」(体を横に倒しての2回転)の着地がわずかに乱れた。城勇太コーチが言う。「それ以外は、今までで一番良かった」。表彰台との差は、紙一重だった。
人生をモーグルに懸けてきた。北京五輪につながる大きな決断をしたのは、6歳の春だった。
1、2学期は地元・東京都東久留米市の小学校に通い、3学期はスキーに本気で打ち込むため、新潟県湯沢町の学校に転校。雪解けのころ、再び東京に再転校する。これを、6年生まで毎年繰り返すことにした。
全ては、モーグルのためだった。
コブ斜面を攻略する面白さに魅せられたのは、4歳の時だ。いつの間にか、週末にスキー場へ通うだけでは物足りなくなった。
湯沢での練習量は壮絶だった…