「もういやだ」けが乗り越え姉妹で表彰台へ スノボHPの冨田姉妹
北京冬季五輪のスノーボード・ハーフパイプ(HP)の9日の予選に、新潟県妙高市出身の冨田せな(22)、るき(20)の両選手が登場する。お互いをライバルと認め、高め合いながらつかんだ五輪切符。姉妹で表彰台を目指す。
2018年の平昌五輪に高校3年生で出場したせな選手。高いエア(空中技)や回転を決め躍動し、初出場ながら8位入賞を果たした。「すごい楽しめた」と笑顔で語った。
「輝いていた。自分も出たい」。観客席で応援していたるき選手は世界のトップ選手の活躍を目の当たりにし、刺激を受けた。
「一緒に出られたらいいね」。平昌五輪後、そろって北京五輪に出ることが2人の目標になった。
姉妹は父の達也さん(45)の影響で3歳からスノーボードを始めた。小学生になると、半円筒状の斜面でジャンプの高さや回転技などを競う種目ハーフパイプにのめり込むようになった。練習施設がある長野や山梨に毎週のように通った。節約のため、金曜夜から車中で2泊。練習を終えると、明かりのある温浴施設で学校の宿題をしたことも。せな選手は中学1年、るき選手は小学6年でそれぞれプロ資格を取得し、世界の舞台で頭角を現すようになった。
だが、平昌五輪後、せな選手はけがに見舞われる。19年12月に中国であったW杯の公開練習中に転倒。頭を打って意識を失い、大会を棄権した。「絶対安静」と言われ、散歩すらできない日々が続いた。るき選手や世界のライバルたちが活躍していくのをただ見るしかなかった。
大好きだったスノーボードの映像を避けるようになり、「引退」の言葉が頭に浮かぶこともあった。「どうしよう」と母美里さん(45)に漏らした。「試しに復帰して、もう一度戦っていけるか確かめたら」と励まされ、少しずつ前を向けるようになった。
3カ月後、再びスノーボードに乗りはじめ、基礎練習を繰り返した。けがから1年後には米国合宿で競技復帰に向けた練習を重ねた。最初は転倒した恐怖からコーチに「もうできない。いやだ」と泣きついた。徐々に勘を取り戻すと、合宿終盤にはけが前の技をつないで滑れるまでになった。復帰戦となった21年1月のW杯開幕戦で3位に。北京五輪を控えた今季、世界のトッププロが集う「冬季Xゲームズ」では初優勝し、調子を上げる。
るき選手も21年2月に足首を負傷し、低迷が続いた。五輪出場には重要なW杯でも結果を残せず、五輪出場「圏外」が続いていた。追い込まれたことで「守った滑りはしない。攻める」と決心した。五輪直前の今年1月、W杯で初優勝、土壇場で五輪出場切符をつかみ取り、姉妹での出場を決めた。
負けず嫌いなのは2人とも共通するが、性格は少し違う。姉のせな選手は慎重な性格で、会場ごとに微妙に異なるパイプの差異を感じながらも、常に安定感のある滑りを見せる。
るき選手はマイペースな性格ながら、攻めた滑りが持ち味で「完成度が高い」とせな選手も認める。だが、本人は「せなの域にはまだいけない。格好いい滑りをまねしたい」。
姉妹での表彰台に向け、せな選手は「負けたくない」、るき選手は「同じ舞台に立つからには追い越したい」と予選に臨む。(小川聡仁)
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