カメラに囲まれた羽生善治九段は、少しうつむきながら、敗れた対局を振り返っていた。勝った永瀬拓矢王座は、いつもより感情を抑えようとしているように見える。
29期在籍したA級順位戦から、陥落決定――。将棋会館4階にある特別対局室の空気は、将棋史に残る出来事を受け止め切れていない。落ち着かない雰囲気のなかで、朝日新聞の村瀬信也記者は羽生九段に尋ねた。
「降級が決まるという結果になったのですが、恐縮ですがそれについてはいかがですか」
羽生九段は場を落ち着かせるように、少し間を置いた。そして「内容も結果も伴わなかったので、まあ致し方ない結果かなと思います」と語った。
羽生九段から降級の思いが語られて、対局室の空気が落ち着きを取り戻していく。ただ村瀬記者にはどうしても、もう一つ踏み込んで聞かないといけない質問があった。
「来期、B級1組で戦うことになると思うのですが、その点はいかがですか」
陥落が決まったばかりなのに、なぜこんな質問をするのか。それは過去に森内俊之九段がA級陥落後にフリークラス転出を宣言した例があるからだ。順位戦はC級2組から始まり、C級1組、B級2組、B級1組、A級と昇っていく。A級はトップ棋士の証しであり、森内九段はA級陥落後は順位戦を指さない選択をした。
羽生九段はどうするのか。「来期も順位戦を指しますか?」という質問をなるべく答えやすいように言い換えたのだ。
落ち着きかけた空気が再び硬化していく。羽生九段も意図は理解していたはずだ。苦笑しながら「そうですね、まだ何も考えていないのですが、次の一局に全力を尽くしたいと思います」とかわした。
対局室から控室に戻りながら、村瀬記者は「いやあ、つらい」と2度繰り返した。将棋担当記者として、棋士の心情に日々触れている。敗者にむち打つような質問は、何も知らないで発するよりこたえる。
だからこそ、敗れた棋士には特別な思いが押し寄せる。
「敗者がどうやって復活するのか。どう立て直すのかを見つめていきたい」
そんな思いも込めて、ウェブマガジン「幻冬舎plus」の連載を元にまとめたのが「将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学」(幻冬舎)だった。棋士21人が将棋に向き合ってきた軌跡をたどっている。
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この数年、将棋界は覇権が揺れ動いてきた。
八つのタイトルのうち、羽生…