「天才樗牛の瞑想松」、かなわぬ恋は作り話?実話? 旧制二高の聖地

有料会員記事

石橋英昭
[PR]

 仙台市街を一望する台原(だいのはら、青葉区)の丘の上、「瞑想(めいそう)の松」と呼ばれる古木が空に伸びています。樹齢約620年、樹高は19メートル。なぜ、誰が瞑想? 由来を探ると、明治期にともに学んだ東北の文学者二人の、強い絆の物語がありました。

 瞑想の松にほど近い仙台文学館が、3月21日まで開催する企画展(一般580円)で、なぞ解きに挑んでいる。

 一人は明治を代表する文芸評論家・思想家の高山樗牛(ちょぎゅう、山形県鶴岡市出身、1871~1902)。もう一人は「荒城の月」で知られる詩人の土井晩翠(ばんすい、仙台市、1871~1952)だ。仙台の旧制二高(後の東北大教養部)で、二人は1学年違いだった。

 樗牛の優秀さは、少年時代から際だっていた。東京帝国大生のとき、匿名で応募した小説「瀧口入道」が評判に。晩翠は、28歳で第一詩集「天地有情」を出して注目されるが、すでに文芸評論で活躍していた先輩の樗牛が出版を後押ししたという。晩翠は生涯、その恩義を忘れなかった。

 樗牛は30歳で早世する。二高では追悼講演会が毎年開かれ、母校で教壇に立っていた晩翠は、樗牛に捧げる長詩を書いた。二高生にとって樗牛は、特別な存在になってゆく。

 そんな中、ある「伝説」が生まれる。

 樗牛は二高時代、永見みち子…

この記事は有料会員記事です。残り588文字有料会員になると続きをお読みいただけます。