国民的議論は成立するか 誰が何を…あいまいな役割分担が分断を招く
核のごみや原発事故、新型コロナ……。大問題が起きるたびに求められる「国民的議論」。ただ、実現したとはあまり聞かない。多くの意見をまとめあげる難しさと大切さを考える。
原発事故、新型コロナ…社会が分断しないために 伊藤浩志さん(科学ライター)
2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故の後、「安全」と「安心」の違いが強調されるようになりました。安全は科学の問題で、安心は心の問題。そう思われがちです。
この安全・安心二元論が、被災地のみならず日本全体の分断を招き、安全について冷静な国民的議論をできなくしているように思います。
科学には白黒つけられない不確かな部分があるのに、「安全」を語る時、科学は主張を正当化する権威づけの道具に使われています。
国は、正しい科学知識を身につければ、不安は解消できると説明します。被災者は被災者なりに科学を学び、「安心できた」派と「被曝(ひばく)の影響が気になる」派に分かれていきました。それぞれが、自分に都合のいい科学データをつまみ食いしているので、議論は一向にかみあいません。
結局、放射線への不安は心の問題として「安全」を巡る科学的議論から排除されました。その結果、被災者は、不安を口にすることができなくなり、社会は分断しました。
国民的議論を阻む国と地方の関係とは。国民的議論が成り立つ国は日本と何が違うのか。記事後半では、「核のごみ」問題に向き合った元高知県知事の橋本大二郎さん、デンマーク在住の文化翻訳者ニールセン北村朋子さんが論じます。
分断の解消に必要なのは、心…
- 【視点】
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