あさま山荘事件で殉職の2警察官を慰霊 発生からまもなく50年

鶴信吾
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 1972年2月、長野県軽井沢町の保養施設に猟銃などを持った過激派グループが立てこもり、民間人1人と警視庁の機動隊員2人を殺害した「あさま山荘事件」から50年となるのを前に、同庁幹部が15日、現場近くの顕彰碑に献花した。都内約3千人の機動隊員を指揮する高山祐輔警備1課長は取材に「お二方の遺志を我々が受け継いでいく」と述べた。

 事件が起きたのは72年2月19日。暴力による革命で日本の共産主義化をもくろんだ「連合赤軍」のメンバー5人が雪深い山中にあるあさま山荘に侵入し、管理人の妻を人質にとって立てこもった。

 対応を任された長野県警と警視庁は投降するよう説得したが、5人が応じないため、施設に放水したり壁を鉄球で壊したりし、9日後に突入して人質を救出した。一連の攻防で3人が殺害され、27人が重軽傷を負った。

 「治安の礎」と名付けられた顕彰碑が立つのは、現場から北に約2キロの場所。周囲はゴルフ場や山林で、人通りは少ない。地元の住民によると、普段は、最寄りの地区の住民がボランティアで清掃などをしているという。

 警視庁では警備部の幹部らが着任時や何かの節目に碑を訪ねるのが慣例となっており、今回は発生から50年に合わせた慰霊と位置づけた。高山氏はこの日、数十センチの積雪と降雪のなか、碑に花束を置き、10秒ほど黙禱(もくとう)した。海外で多くの人が犠牲になるテロが後を絶たないことに触れ、「いかなる事態にも対応できるよう、万全の準備をしていきたい」と話した。

 顕彰碑は誰でも訪ねることができる。

 碑には事件の経緯が記され、殉職した2人について「白雪を鮮血に染めながら壮烈な最期を遂げ、人質救出と犯人逮捕の礎となられた」と説明し、「功績を永く後世に伝え、再びこのような事件が起こることのないよう祈念し、建立した」と結んでいる。

 事件の舞台となった山荘は改修され、当時のままの場所にある。ただ周辺一帯は私有地で、「一般の方は立入禁止」という看板が建てられ、近づくことはできない。近くの男性(81)によると、人の出入りはないという。(鶴信吾)