震災、台風、コロナ、耐えて11年、営業続く 旭市

大久保泰
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 東日本大震災からまもなく11年。津波などで約3800世帯が被災し、県内で最も大きな被害を出した千葉県旭市では、津波から漁業や飲食店を復活させた後も風評や台風被害を乗り越えて店を続けている。いま、コロナ禍に立ち向かいながら親から受け継いだ看板を守っている。

 網元で、水産加工業「飯岡ヤマイチ水産」を引き継ぐ伊藤友門さん(37)は2011年3月11日の地震後、自宅近くの飯岡漁港にかけつけた。すでに祖父の良衛さん(90)が持ち船1艘(そう)を沖に出していた。父の忠雄さん(63)とともにもう1艘を岸壁にロープで固定しようとしたが、津波の第2波が港を襲い、ロープは切れ、船に乗ったまま流された。「洗濯機の中にいるようにぐるぐると渦に巻かれもうだめだと思った」

 冷凍室が浸水して使えなくなった。3月末には営業は再開できたものの、東京電力福島第一原発の事故による放射能汚染風評被害が広がり、魚が売れなくなった。さらに津波の影響で、主力の白魚の漁獲量が大幅に落ち込んだ。

 営業方針を変えざるを得なかった。しらす干しやハマグリ、白魚などの市場への出荷を減らし、直営店や道の駅、インターネットでの販売に力を入れた。「がまん、試練、忍耐の11年間だった」。コロナ禍もあって先が見えない。「震災前に比べて心が穏やかでない。復興できたとは思えない」

 数年前から地元の若手漁師らと「飯岡鰆(サワラ)船団」をつくって、生き締めにした鮮度のいい魚の販売に取り組む。「地元の魚の魅力を伝えたい。いずれはブランド化したい」と、新たな展開をめざす。

 海から100メートルほどの所にある「井之内食堂」は津波で自宅兼店舗が被災し、3カ月休業した。当時、切り盛りしていたのは岩佐ふささん(享年82)。しかし、3年後に病に倒れて再び休業し、15年4月に亡くなった。

 店が再開されたのはその年の9月。娘の井上純子さん(59)、伊藤浩美さん(56)姉妹が引き継いだ。カツカレーやそば、人気メニューもそのまま残した。「職人さんを始め地元の人たちに愛された母の味を守りたい」との思いからだ。

 そんな店を今度は台風が襲う。19年の15号で食堂の屋根が吹き飛び、19号の大雨で水浸しになった。3度目の休業。「神様ってなんでこんな仕打ちをするの」。空が見える天井をうらめしく見上げた。

 それでも翌年8月に同じ場所に新しい店を開いた。父親が早くに亡くなり、母のふささんが63年から店をやりくりしながら姉妹を育ててきた。店の名前は引き継いだ。「小さくて、やせていて、細腕だった」。母の姿を思い出しながら姉妹は厨房(ちゅうぼう)に立っている。

 九十九里浜から100メートルほどの所にある懐石料理「サザエ」の向後稔晴(としはる)さん(38)はあの日、東京都内のビルの21階で激しい揺れに襲われた。当時、都内の飲食店で働いていた。数日後、自宅兼店舗に帰ると、津波が壁を壊して突き抜けて行ったのがわかった。

 父公稔(きみとし)さん(62)と店を再建すると決め、その年の12月に新しい店を立ち上げた。震災後は店を支えようと常連客らがひんぱんに訪れてくれた。それがコロナ禍でキャンセルが続いた。病院や学校関係者らの団体客が途絶えた。

 「売り上げは震災後より今の方がきつい」。ランチコースや懐石弁当などの新メニューをSNSで発信している。「旭が好きで戻ってきた。地元の素材を中心に季節感を大事にした料理を出していきたい」。新たな家族とともに、あの海の近くで暮らしていく。(大久保泰)