第2回「死んでもやめないぞ」36歳で早くもデスクに、手放せなくなった酒

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浅野真
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 記者(55)は、埼玉県大宮市(現在のさいたま市)で育った。

 両親と母方の祖父母、兄との6人家族で、アルコール依存症になった人はいないはずだが、酒に寛容な家庭だった。

 最初に酒に手をつけたのは、4、5歳ぐらい。アルバムに一升瓶を抱えた幼児の写真がある。

 祖父は毎日、食事の前にかん酒をたしなんでいた。

 大相撲中継を見ながら飲む祖父の目を盗んで、おちょこに入った日本酒をなめたことがある。

 つんとした匂いがしたが、口に含むと甘い。ほわんとした気分になった。

 晩酌に寄ってくる孫が、祖父はかわいかったのだろう。食事どき、家族がそろうと、「こいつは将来、大酒飲みになるぞ」と愉快そうに笑った。

 アルコール依存症は、脳が飲酒をコントロールできなくなる病気です。医療につながってほしいという思いから記者が体験を振り返る連載の2回目です。

 未成年者の飲酒は法律違反だ。そして、酒を飲み始める年齢が早いことと、アルコール依存症になることには、相関関係がある。

 しかし、家族もそうしたことは知らなかった。

 子どものころから飲酒を始めると、短期間で依存症になりやすくなったり、脳が萎縮したりすることも研究でわかっている。

 大学では新聞部に入り、よく飲んだ。

 大学祭では、部室に教授が一升瓶を持ってやってきた。寒さに目覚めると、床で寝ていたこともあった。

念願の「食」担当記者に

 酒に緩い学生生活を経て、子どものころからの夢だった新聞記者になった。

 26歳で結婚し、念願の「食」担当記者になった。食の安全から料理の紹介まで、幅広い記事を書く。おいしい店を勘で見つけるのも得意だった。

 当然、酒や酒肴(しゅこう)にも関心がいく。ほぼ毎日、家か外で飲んでいた。妻はアルコールに弱く、ほとんど飲まない。

 36歳のとき、群馬県にある前橋支局(現在は総局)のデスクになった。記者が書いた原稿を読み、地域面づくりの陣頭指揮を執る。

 当時、30代半ばでのデスク就任は、かなり早かった。「もしかして、会社に期待されているのかも」と思った。

 支局は取材の前線基地だ。朝…

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    太田泉生
    (朝日新聞コンテンツ編成本部次長=人権)
    2022年3月3日13時26分 投稿
    【視点】

    この連載はどきりとしっぱなし。 私もよちよち歩きで酒瓶を抱える写真があります。保育園の遠足でウイスキーの小瓶に麦茶を詰めて水筒代わりに持たされ、保育士が驚いて駆け寄ったという話も。酒に寛容な環境で育ちました。 「酒が強い」とよく言われま

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    磯野真穂
    (人類学者=文化人類学・医療人類学)
    2022年3月2日19時54分 投稿
    【視点】

    人類学者のメリル・シンガーは2012年の論文の中で、アルコールを含めた「依存症」という言葉が生まれたのは19世紀からで、それ以前にはこの言葉はみられないことを述べます。 物質の精製・大量生産技術及び、それを捌くマーケットが確立され、大