対談「今を知りたい」~北京パラリンピックに寄せて
物心がつく前から障害のあった子どもは、どのような環境でスポーツに励んでいたのだろう。人生の転機となった「大人の言葉」とは。ともに野球少年だった2人の青年に、胸の内を聞いた。
強かった野球への思い
東京パラリンピックの自転車競技に出場した川本翔大さん(25)は、高校生の時、野球部員だった。野球は、本格的に取り組んだ最初のスポーツになった。
川本 「担任の先生が野球部の顧問で、『野球部に入らないか』とお誘いをいただきました。高校の入学の面接で自分は野球が好きと伝えていました。でも、まさか自分が顧問に声をかけてもらえると思っていなくて、うれしかった」
川本さんは、生後2カ月でがんの「線維肉腫」を発症し、左足を切断した。川本さんの周りには、障害を理由に、野球部入りを止めた人はいない。
川本 「小さいころから野球が好きで、部活に入りたかったけど、自分は入れないんじゃないかなと勝手に思い込んでいた。高校では先生だけでなく、同級生から『やろうよ』と声をかけてもらいました。母親に入ってもいいかと聞いても、止められなかったんです」
山中大河さん(21)は、強豪・高知商業高校野球部の主将として甲子園に出場した。
山中 「小学校に入る前、公園で遊んでいた時に、地元の少年野球のチームの監督に野球をやらないかとすごく勧められました」
生まれつき右手の指は2本だった。山中さんも、大事にしている言葉がある。
「監督に言われたのは『障害…