あさま山荘事件、50年後の証言 あのとき極寒の現場で見た光景は

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鶴信吾
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 過激派グループ「連合赤軍」のメンバー5人が長野県軽井沢町の保養施設で、人質を取って10日間にわたって立てこもった「あさま山荘事件」から、今月で半世紀となった。現場や周辺にいた人は何を見たのか。元警察官、元過激派メンバー、地元住民の証言でたどった。(敬称・呼称略)

 1972年2月、連合赤軍のメンバー十数人は、警察の目を逃れるため群馬県の山中を転々としていた。この間、逃亡するメンバーも相次いでいた。

 大がかりな捜索の末、群馬県警は17日、同県松井田町(現・安中市)の妙義山中で、最高幹部だった森恒夫(当時27)と永田洋子(同)を殺人未遂などの疑いで逮捕した。

 県境を越えたあさま山荘で立てこもり事件が起きる2日前のことだ。残るメンバーは9人となった。

レンズの先に、不可解な足跡

【証言①:元長野県警機動隊・箱山好猷(当時36)】

 72年2月18日、長野県警機動隊の分隊長だった箱山好猷(よしのり)(86)は、群馬・長野県境の和美峠にいた。

 警察は森、永田以外のメンバーも山中を逃げていると判断。付近の道路で検問や捜索に当たった。和美峠もその一つだった。

 箱山は上司に「不審者を見つけたら緊急走行の赤ランプをつけて追いかけろ」と指示を受けた。双眼鏡を使い、雪山の斜面を監視していた。

 レンズの先に、人が歩いたような跡があることに気づいた。

 「おかしいな。昨日は足跡はなかったような気がする」。しかし足跡は1人分しか見えず、一つひとつの形も崩れている。

 「連合赤軍のメンバーが歩いたなら、もっとたくさんの跡があるはずだ。これはきっと古い足跡だろう」。そう思った。

 この足跡は確かにメンバー9人のものだった。それが判明したのは逮捕後のことだ。

 なぜ1人分しかなかったのか。

 実はメンバーは、先頭を歩く1人の足跡を踏んで歩いていた。そのため、箱山には1人分に見えていた。この時9人が銃を携帯していたことも後で分かった。「出会っていれば撃ち合いになっていた」と、箱山は振り返る。

 この日、箱山が見た足跡の9人は和美峠近くの雪山を越えて軽井沢町に入り、別荘地に近い山中にいた。雪を集めてかまくらをつくり夜を過ごしていた。そのうち一人が取材に応じた。

追われた連合赤軍メンバーは、銃撃戦の末にあさま山荘に侵入します。地元の女性たちは炊き出しで警察官を支援。警視庁からは立てこもり犯を割り出すための警察官が派遣されます。そして、立てこもりから10日目。事態は大きく動きます。

撃ち殺されるか、捕まるか

【証言②:元連合赤軍メンバー・加藤倫教(当時19)】

 19日午前5時、9人のうち男女4人は軽井沢の街へ食料の買い出しに出かけた。

 ところが、山中で長い間風呂にも入っていなかった4人は悪臭を放っていた。4人はすぐに人々の注目をひいた。

 軽井沢駅売店の女性が不審に…

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