連合赤軍、凄惨なリンチ殺人 「死刑にしたくない」取り調べた検事は

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聞き手 編集委員・大久保真紀
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 連合赤軍事件から50年になる。1972年2月、「共産主義革命」を目指した若者たちが「あさま山荘」に立てこもり、その後、同志のリンチ殺人も発覚した。弁護士の古畑恒雄さんは当時、検事としてメンバーを取り調べ、いまも無期懲役が確定した元幹部の身元引受人を務める。連合赤軍事件とは何だったのか。古畑さんに聞いた。

ふるはた・つねお

1933年長野県生まれ。更生保護法人理事長。高卒後、代用教員を経て大学に進み、検事に。法務省保護局長、最高検公判部長などを歴任。

「総括」の名の下に12人が殺害された

 ――50年前、あさま山荘事件の現場に行かれていますね。

 「1972年2月19日の午後でした。当時、私は39歳で、長野地検で公安担当の検事をしていました。その日は土曜で、スキーに出かけようと板を車に積み込んでいると、妻から『検察庁から電話』と呼ばれました。『怪しい男女2組の4人が軽井沢駅で捕まった。連合赤軍のメンバーかもしれない』という連絡でした。すぐに検察庁の車で軽井沢署に向かいました。署にはこうこうと電気がつき、多くの人が右往左往していました」

 「軽井沢署に到着後、連合赤軍のメンバー5人があさま山荘にライフルを持って立てこもっていると聞かされました。現場を見ておいた方がいいと思い、真っ暗な中を検察車両で山荘の近くまで行きました。沿道にはすでに警視庁の機動隊がいて、現場ではヒューンというライフル銃の音がしていました」

 「翌20日、私は駅で逮捕された4人に、直後の言い分を聞く弁解録取をすることになりました。最初に向き合った男性に職業を尋ねると、彼は私をじっと見て『革命戦士です』と答えました。事実関係は『黙秘します』でしたが、落ち着いていて、礼儀正しかった。その後、私はこの男性の担当になり、勾留期間の20日間、取り調べをすることになります」

 ――取り調べはどのようなものだったのですか。

 「当初は男性がリンチ殺人をしているとは、想像もしていませんでした。医学部の大学生で、父親が田舎から面会に来たときも、『お父さん、(行方不明だった息子さんの行方がわかって)よかったですね。遠からず帰っていくので大学に戻してください』と言ったぐらいです。父親は、母親と祖母の手作りのぼた餅を持参して男性を説得したのですが、彼は『お前は俺の父親じゃない。早く帰れ』と言い返し、父親は肩を落として帰って行きました」

 「男性と私は、少しずつ話をするようになりました。男性からドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだことがあるかと問われ、途中で投げ出したと答えると、『一度読んでください』と言われました。長い検事生活で被疑者から読書を勧められたのはこのときだけです。彼が『また読みたい』というので、書店で上・中・下の文庫本3冊を買って差し入れました。接見禁止がついていて、だれからも差し入れが入らない状態でしたからね。取り調べの合間に人生論議もするようになり、互いに通じ合うものが生まれていったように感じました」

取り調べを進める中、男性は自白。その一連の犯行に驚いた古畑さんは、それでも「この男性を死刑にしたくない」と思ったと話します。その理由は何だったのでしょうか。記事後半では「寄り添い弁護士」として活動する古畑さんが、仮釈放をめぐる問題について語ります。

 ――その後、事態が変わるのですね。

 「2月28日にあさま山荘が…

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    小熊英二
    (歴史社会学者)
    2022年2月27日19時25分 投稿
    【視点】

    この事件関連で今年出た記事の中では、もっとも学ぶところが多かった。 検察庁と法務省の裁量(通達)によって、厳罰化を強めているのは、大きな問題である。「内部通達による運用で、無期刑をひそかに終身刑化している」というのは、法治国家としては

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    曽我部真裕
    (京都大学大学院法学研究科教授)
    2022年2月27日9時19分 投稿
    【視点】

     あさま山荘事件は、純粋な正義感から出発した運動であっても、それを相対化する視点をもたずに突き進めばどのようなことになるかを究極的な形で示した事件だったと思います。この教訓は、今、改めてアクチュアリティをもって受け止める必要を感じます。