25年に1度開帳の滋賀・長寿寺の秘仏 平安後期の作か
湖南三山の古刹(こさつ)・長寿寺(滋賀県湖南市東寺5丁目)は、国宝本堂の厨子(ずし)に納められた秘仏本尊・子安地蔵菩薩(ぼさつ)の文化財調査を初めて実施した。平安時代後期(12世紀)に墨で模様を描いた珍しい仏像であることが分かった。今後、文化財指定を目指す。
寺の言い伝えによると、寺は奈良時代、奈良の東大寺を開いた僧・良弁(ろうべん)が創建した。世継ぎのいなかった聖武(しょうむ)天皇の子宝を祈願したところ、皇女(後の孝謙〈こうけん〉天皇)が生まれ、その長寿を願って寺の名が付いた。子安地蔵菩薩は同時期、東大寺の大仏造立に尽力した僧・行基(ぎょうき)が刻んだとされる。
しかし、開帳はおよそ25年に1度だけ(中開帳を含む)という秘仏のため、その実態はほとんど分かっていなかった。今回の調査は、市教育委員会と県立琵琶湖文化館、「MIHO MUSEUM」の学芸員らが協力して実現した。
仏像は18日朝、厨子から運び出された。「お地蔵さんが外に出た記録はありません」と藤支(ふじし)良道住職。長年たまったほこりが、筆で丁寧に取り除かれた。
仏像は主要部分を1本の木から刻む「一木造(いちぼくづくり)」で、高さは1・5メートル。目や口が大ぶりで迫力のある表情を見せ、奥行きのあるしっかりとした体つきだ。衣のひだがなく、表面はノミで削った跡もよく分かる。
作風から、寺の言い伝えよりは新しいものの、平安時代後期(12世紀)の作とみられるという。琵琶湖文化館の和澄(わずみ)浩介・主任学芸員は「衣のひだを全く刻まない特殊な表現から、半僧半仏師のような人物が作った可能性も考えられる。立派な像で、天台宗の古刹にふさわしい」と話した。
赤外線を使った調査で、新たに仏像の表面や光背(像の後ろに付ける装飾)に、墨の跡が見つかった。仏像には袈裟(けさ)を表す模様、光背には唐草文などが描かれていた。墨だけで模様を描く例は珍しいという。
仏像は夕方、再び厨子に戻された。細かい傷みはあるが、修理の必要はないという。藤支住職は「秘仏の調査には悩んだが、心を込めて刻まれ、かけがえのないものとして大切にしてきた昔の人たちの思いも痕跡として残されていたことが分かり、大変うれしい」と話した。
寺によると、子安地蔵菩薩が直近で開帳されたのは10年前。次回は2035年前後になるという。(筒井次郎)
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