香取慎吾「楽しいのは大事」 パラ界のレジェンドと語ったリーダー論

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香取慎吾とゆくパラロード

 朝日新聞スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがパラ競技に挑戦したり、アスリートと対談したりする「慎吾とゆくパラロード」。今回は、4日に開幕する北京大会のクロスカントリーに出場し、過去2大会で計三つの金メダルを獲得したパラ界のレジェンド、新田佳浩選手(41)とオンラインで語り合いました。若いバックダンサーを率いてソロステージ公演を成功させた香取さんと、後輩の育成に力を注ぐ新田さん。リーダー論に花が咲きました。

 《こんにちは。初めまして、ですよね?》

 香取さんは画面越しに新田選手に問いかけた。

 《実は、前回の平昌大会の時に、行きの飛行機で香取さんをお見かけしました。》

 香取さんは朝日新聞のスペシャルナビゲーターとして、現地を訪れていた。

 《えー! そうなんだ! 話しかけてくれれば良かったのに!》

 新田選手は1998年長野から北京まで7大会連続出場で、レジェンドと呼ばれる。四つ年上の香取さんとの対談は、和やかな雰囲気で始まった。

 香取さんは尋ねた。

 《クロカンで必要な筋肉ってどこですか。》

 新田選手は即答した。

 《太ももですね。僕は細いほうで、60センチぐらいです。》

 香取さんは自分の太ももを確認するように手を当てると、笑った。

 《それは十分太いよ。レースで大事になるところは?》

 新田選手は言った。

 《例えば1周3キロぐらいだと、かかる時間は10分ほど。その10分間でも、人が多く滑った雪面は鏡のように光ってくる。時間と共に日陰が日なたになることもある。滑りながら雪面がどう変わるかで走り方を変えます。常に感性を求められます。》

 香取さんはさらに尋ねた。

 《判断ミスでレースがごちゃごちゃしちゃうこともある?》

負けたときには…

 新田選手はうなずいた。

 《スキー競技には「ワックスマン」という専門家がいます。選手は試合10分前までコースを滑りながら、トランシーバーでワックスマンに雪の状態を伝えて、本番の板に塗るワックスを微調整してもらいます。気温が1度違うだけで塗るワックスは変わる。》

 《負けた時には、今後の糧にしようと思うんですけど、勝ちたいものだからゴール後に板をぶん投げたこともありました。最終的に判断したのは自分なのに。》

香取慎吾さんと「パラ界のレジェンド」新田佳浩さんによる対談は3月3日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。

 香取さんは驚いた。

 《いつぐらいのことですか?》

 新田さんは照れた。

 《10年ぐらい前……いや、5年ぐらい前ですかね。》

 香取さんは笑った。

 《けっこう最近だね。》

 新田選手は続けた。

 《平昌大会前でした。でもそこで、失敗しないようにするにはどうしたらいいのか、ワックスマンと深くコミュニケーションをとった。ハートとハートでぶつかったことで、平昌の金メダルにつながりました。》

 香取さんはうなずいた。

 《いい失敗だったんですね。》

 新田選手は今回の北京大会を集大成と位置づける。

 《本当は平昌大会で引退するつもりだったけど、若手が入賞できなかった。代替わりしないといけないと思う部分もあったけど、自分が選手でいるからこそ、後輩に伝えられることもあると感じ、続けてきました。》

 香取さんは尋ねた。

 《クロカンは何歳ぐらいまで選手としてできる競技なんですか。》

 新田選手は言った。

 《やろうと思ったら長くできるけど、僕はメダルがとれない選手がわざわざやる必要があるのかなと思っている。4年後は45歳。今後のことも含めて若手にシフトすべきだと思う。》

 香取さんはうなずいた。

 《冷静に自分の集大成を見つめているんですね。》

後輩たちを育てるために

 香取さんは昨年、ソロステージを開催。バックダンサーを率いて成功に導いた。新田選手も若手の育成に心血を注ぐ。新田選手が言った。

 《自分で物事を考えないと成長しないと思うので、最初に問いかけて途中で少しヒントを与えて本人に考えさせるっていう教え方を大切にしています。あとは、僕は厳しい人だと思われているので、おちゃらけて盛り上げることも大事にしています。》

 香取さんも共感した。

 《楽しいっていうのは大事だよね。去年、明治座で約1カ月公演したんだけど、振り付けの稽古がうまくいかなかったときに、ダンサーのみけんにしわがどんどん寄ってきちゃった。だから、全く別のノリノリの洋楽を流して「踊って」って言った。》

 《そしたら、彼らは子どもの頃から踊ることが好きだから、もうみんなイエーイって。「今どうだった? 楽しかったでしょ? これでやろうぜ」って伝えた。ここにいる時点で選ばれた人たちなのだから、どんな失敗をしても、とにかく楽しまなきゃって。》

 新田さんも笑った。

 《同じ時間を過ごすなら楽しく過ごしたほうがいいですよね。》

 香取さんはほほえんだ。

 《北京があって良かったですね。平昌で終わっていなかったからこそ、この4年間のいろんなことを考えながらレースに臨むんだろうね。》

 新田選手も同じ気持ちだった。

 《すごく楽しみ。日本勢の成長速度と世界のそれが違った時には申し訳ないけど、この4年間頑張った事実は、誰のことも裏切っていない。北京に入ってからのミーティングでは、そんなことを後輩たちにも話そうと思っています。》

 香取さんは画面に近寄った。

 《期待しています。がんばって!》

 新田佳浩(にった・よしひろ) 1980年、岡山県出身。3歳の時に農業用機械に挟まれ、左ひじ下を切断。小学校3年からクロスカントリースキーを始め、1998年長野大会に初出場。2002年ソルトレークシティー大会で銅メダル。10年バンクーバー大会、18年平昌大会で計三つの金メダルを獲得した。日立ソリューションズ所属。