あさま山荘とベトナム戦争 レンズ越しに見た二つの最前線、その落差

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清水大輔
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 あの時、日本中の視線が長野県軽井沢に集まっていた。各地の商店街は閑散とし、交差点の交通量は元旦並みに減り、皆がテレビ中継に釘付けとなった。連合赤軍メンバー5人が人質をとって立てこもった「あさま山荘事件」は、50年前の1972年2月28日、警官隊の突入で10日間の攻防を終えた。あの現場で、ベトナム戦争や沖縄の闘争を取材し続けた1人の写真記者がカメラを向けていた。

 「ぼくは山荘の正面側にいました。警官は前と、それから真後ろにいました」。報道写真家の石川文洋(83)=長野県諏訪市在住=はそう振り返る。当時は朝日新聞の出版写真部に所属していた。石川だけではない。軽井沢の山中に詰めかけた報道陣は事件当時、犯人との攻防を続ける警察官の間近で取材をしていた。事件事故が発生すると速やかに規制線が張られる今の感覚では、想像できない取材現場だ。

 山荘付近は、零下10度以下の酷寒が続いていた。ある日、石川と同じく朝日新聞出版写真部にいた白谷達也(76)は、耳元で「ビッ」という音を聞いた。後ろの小枝がはじけた。

気づけば、乾いた音の通り道

 「文ちゃん、いまの音、もし…

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