第5回住宅や教育は無料だが… 毛沢東を礼賛する「最後の人民公社」の虚実
「共同富裕」を最初に言い始めたのは、毛沢東だ。今回は、その時代に光を当ててみたい。
1949年に中華人民共和国が成立し、毛は国家指導者になった。毛は当初から「平等」という社会主義の理想に燃えていた。食糧が乏しく貧しい時代。まずは「みんなで耕し、みんなで分ける」ことを打ち出すと、人民はこれを支持した。
手応えを感じた毛は、1958年に「人民公社」という制度を始めた。村ごとに農工業すべてを集団所有する仕組みで、生産を競わせた。この「大躍進」政策は、理想が現実に追いつかない無謀な増産計画で、数千万人とも言われる餓死者を出した。毛の死去後に人民公社は見直され、1983年までにほぼ解体された。
分け与える富がないまま平等を強制すれば、「共同貧困」に陥ってしまう。中国は毛の経験からそう学んだとも言える。
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中国で格差が広がる中、習近平国家主席は皆が豊かになる「共同富裕」を宣言しました。毛沢東が唱え、挫折したこの理念を再び掲げた真意とは。中国はどこへ向かうのか。秋の共産党大会に向けて随時連載します。
ただし、この人民公社は消滅していない。河南省に「最後の人民公社」と呼ばれる村があると聞き、河南省の南街村を訪ねることにした。
「南街人民公社」という門を抜けると、いきなり村の中心部に高さ約10メートルの毛沢東像が目に入った。毛の生誕100周年を祝い、1993年に建てられたものだという。
台座正面には「為人民服務(人民に奉仕する)」と毛のスローガンが、向かって右側には「毛沢東は人であり、神ではない。だが、毛沢東思想は神に勝る」との言葉が刻まれていた。その周囲をマルクス、レーニン、スターリンらの巨大肖像画が囲む。
過去に取材したどの革命聖地と比べても、毛の礼賛ぶりは圧倒的だった。毛が国を率いた時代から時間が止まったような感覚に陥るほどだ。
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人口約3700人の南街村は…