祖国の「敵」とされた国へ 加害の国でできること 高橋源一郎さん

有料会員記事ウクライナ情勢

編集委員・塩倉裕
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高橋源一郎さん(寄稿)|作家

 ロシアのウクライナ侵攻が始まった2月24日は、両国にとって重い意味を持つ日付になりました。巨大な暴力を前に、遠い異国で何ができるか。作家の高橋源一郎さんが、日本にとって重要な日付が刻まれた場所から考え始めました。寄稿を掲載します。

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 毎年、「3月11日」が近づくと、福島に行く。仕事として行くこともある。特に目的もなく行くこともある。そこで何かを書くことも、何も書かないこともある。

 何度か行った場所があるし、初めて行く場所もある。わたしは、福島と深い関わりがあるわけではない。少額の寄付をして、ある小さなプロジェクトを継続している。それがすべてで、わたしなどよりずっと深く福島に関わった人たちには敬愛の念しかない。

 なぜ行くのか、と訊(き)かれても、答えに窮する。けれども、やはりその季節になると出かけて、考える。不思議なのだが、そこで考えるのは、目の前の風景とは関係のないことが多い。その現場で考えることと、戻って考えることもちがう。わたしには大切な時間だ。

 「帰還困難区域」の解除に向けて、建物の解体が進む町で、住居跡を訪ねて来た方と少しお話をした。結局ここには戻らないだろうとその方はおっしゃった。それから少し、そのあたりを歩いた。もう10年以上放置された店舗や住宅は、荒れ果て、壊れていた。その瞬間、少し前に見た、ウクライナの映像を思い出した。そのときは、それだけのことだった。考えたのは、帰宅して後のことだ。

 「3月11日」という日付は、わたしたち日本人にとって特別なものになった。「8月15日」が、そうであるように。並んだその数字を見ると、わたしたちはそれぞれに、異なった感慨を覚える。

 「2月24日」。ロシアがウクライナに侵攻した日が、そんな日付になった人たちがいる。ウクライナの人たちはもちろん、ロシアの人たちもまた、そうだ。そんなことをずっと考えていた。そして、戦争が始まってから、それぞれの国の作家たちが紡ぎ、発していることばを、丹念に探し、ずっと読んでいる。

東日本大震災から11年経った福島を歩き、ロシアのウクライナ侵攻に思索をめぐらせる高橋源一郎さん。この後、「加害の国」に生きるロシアやベラルーシの文学者が発する言葉に反応していきます。さらに記事後半では、太宰治を重ね合わせながら、加害の国に残された希望を考えていきます。

加害の国に生まれて

 第2次世界大戦に従軍したソ…

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