紀伊の古墳、大王と微妙な関係 見え隠れするバランス感覚

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編集委員・中村俊介
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 古代史の中心舞台、近畿地方にあって、いまひとつ存在感の薄い和歌山県。だが、かつて紀伊国と呼ばれたこの地方にも、個性的かつ壮大な古墳群がある。近畿の王権のみならず遠方の九州勢力とも手を結ぶ、バランス感覚にたけた在地勢力が見え隠れする。

 奈良や京都など都の故地に比べて地味な印象ながら、紀の川流域には独自の勢力が足場を築いていた。6世紀を中心に、南岸の山塊に850~900もの古墳が展開する和歌山市の岩橋千塚(いわせせんづか)はそれを物語る。西の西都原(さいとばる)古墳群(宮崎県)や東の埼玉(さきたま)古墳群(埼玉県)などと並ぶ特別史跡の大古墳群である。

 おびただしい群集墳はもちろん、首長層の前方後円墳も実にユニーク。大日山35号墳は前後に顔を持つ奇怪な人物や飛翔(ひしょう)する鳥といった形象埴輪(はにわ)で知られ、天王塚古墳は巨大な石室で他を圧倒する。その築造には紀直(きのあたい)系の在地氏族がかかわったとも。

 2月、そんな古代紀伊社会に迫るシンポジウムを、和歌山県が世界遺産百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」を擁する堺市と東京で共催した。松木武彦・国立歴史民俗博物館教授は「岩橋千塚を築いたのも大王を支える有力氏族だったのだろう」と語り、県境を挟む大王の墓域と突き合わせることでその価値を再確認できると説いた。

 ただし、地元豪族たちは王権…

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