高校生が訴えるツイッター防災 もう大切な人を亡くさないために
福田祥史
途切れ途切れの記憶の中でも、大変なことが起きているらしいと感じたのは覚えている。テレビは水にのみ込まれた町や炎に包まれる港を映し出し、その前で母は泣き続けていた。
2011年3月11日。茨城県取手市の渡辺琉夏(るか)さん(17)は、通っていた同県龍ケ崎市内の幼稚園でおやつを食べようとしたとき、激しい揺れに見舞われた。恐怖に泣きながら送迎バスで帰った自宅では、母の祐子さん(43)が不安に耐えていた。
実家がある宮城県気仙沼市の海沿いの地区には大津波が押し寄せた。
「あの辺はみんな流されてる」
祐子さんの母で、市内の工場で働く畠山ふさ子さん(68)と、家にいた祖母まつよさん(当時89)の安否がわからなくなっていた。「2人とも流されて、いなくなったかも知れない。おうちはもうないよ」。祐子さんは覚悟をして、琉夏さんに伝えた。
3日後、中学校の体育館に避…