第1回「家族も家も無事」の後ろめたさ 語れぬ震災、支えになった友の言葉
福岡龍一郎
紺色の制服を着ているのは、私とあと数人しかいなかった。
2011年4月。宮城県女川(おながわ)町にある女川第一中学(現女川中)の入学式。1カ月前の地震で体育館は壊れ、紅白の幕を張った図書室に約60人の新入生が集っていた。
ほとんどはパーカやセーターなどの私服姿だ。着るはずだった制服は、家ごと津波で流された。部屋からあふれた上級生は、廊下で校歌を歌った。
新入生だった阿部由季さん(23)は、自分が制服を着てきたことを悔やんだ。「なんで気づけなかったんだ。私だけ家があることを自慢してるみたい」
声が震えた 「家族も家も無事でした」
東日本大震災で女川町は9割の住宅が全壊などの被害に遭い、800人以上が犠牲になった。
5月の大型連休明け。窓を閉めても腐った魚のようながれきの臭いが漂う。放課後、学年主任の教諭に尋ねられた。「震災の前後で家族の人数に変化はありますか」。町役場は流され、住民に関する書類も失われた。学校が家庭の被災状況をつかむ調査だった。
「先生、すみません」
声が少し震えた…
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