和歌山東、草むしりからの12年 「魂をぶつけろ」壁は越えられる

佐藤祐生
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 近くに高速道路が通り、きれいに整備されたグラウンドにいかめしい声が響く。

 「自信持ってやれ!」「ちゃんとほれい!」

 シートノックを受ける和歌山東野球部の選手たち。監督の声ではない。誰かがミスをすると、選手同士で声を掛け合っていた。

 選手たちはノックが終わると、マウンドに集まり言い合った。「今のままでは絶対、甲子園ベスト8いけへんぞ」「ここしっかり踏ん張ってやってやろや」

 米原寿秀監督(47)が発破をかける場面は少ない。「こちらから言わなくても子どもたちだけで声が出るようになってきた」。創部12年目で春夏通じて初の甲子園出場。選手自身が自らに厳しく励む姿は、創部当初には想像できなかった。

軟式から硬式に移行

 和歌山東は剣道部フェンシング部、レスリング部が全国レベルの県立校。野球部が軟式から硬式に移行した2010年、米原監督は赴任した。それまで監督をしていた和歌山商では07年に選抜大会出場に導いた経験を持つ。

 春夏通算7回の甲子園出場を誇る和歌山商と打って変わって、和歌山東での指導はグラウンド整備から始まった。

 軟式時代から残った2、3年生を含む計20人でスタートした当時、グラウンドは雑草が生い茂り、ベンチもなかった。

 まず選手たちと一緒に草をむしり、白線の引き方などを教えた。練習しようにも、生活面で問題を起こしたり、監督がいない日の練習は途中で帰ったりするなど、本気で野球に向き合う選手も少なかった。創部2年目に入学した現コーチの石山晃基さん(26)は「今じゃ考えられないです。ほんまに」と笑う。

 米原監督は「和歌山商と同じやり方は無理。求めるのではなく、子どもたちの持っている力を出せるようにしよう」。打撃を中心とした練習で難しいことは教えず、1日ごとに達成できる数字の目標を設定するなど、やる気を引き出すように努めた。

 それでも、創部初年度の20人のうち、3年生の夏までやり切ったのは4人だけ。厳しい練習に耐えきれずやめていく部員が後を絶たなかった。石山さんは「先輩も少なく、好きにやれると中途半端な気持ちで入ってきて、厳しさとのギャップに負けてやめる人が多かったと思う」。

 その一方で、和歌山商で実績のある米原監督の指導を受けたいと年々、意欲に満ちた選手も入ってくるようになった。

 創部4年目の13年には夏の和歌山大会で初のベスト4入り。14年秋には初めて近畿大会に出場し、16年には秋の県大会で優勝。着実に力をつけていった。月日が経つにつれ、グラウンドからは監督ではなく、選手たちの大声が聞こえてくるようになった。

 「やんちゃな子はもう、いません」と米原監督。甲子園出場を目指して、真剣に野球に取り組む選手ばかりになった。

立ちはだかる2校

 夏の和歌山大会4強入り4度、秋の県大会決勝進出4度と上位に名を連ねるようになったが、県内には二つの高い壁がそびえ立つ。ともに春夏合わせて甲子園出場計10回以上の市和歌山智弁和歌山だ。昨秋の県大会もこの2校が立ちはだかった。

 準決勝は夏の全国王者・智弁和歌山とぶつかった。県大会前の新人戦では0―11で五回コールド負けを味わっている。「普通にやっても何か足りない。子どもたちをもう一つ奮起させたい」と米原監督は悩んだ。そして、試合前日、浮かんできた言葉を選手に伝えた。

 「自分たちの持っている魂を全てぶつけろ。魂の野球をしよう」

 「自分たちが思っているよりももっとやれる」という思いを「魂」という言葉に込めた。

 「魂の野球」というフレーズは、選手たちをたぎらせた。右横手のエース・麻田一誠を中心に、左の好打者には左腕をワンポイントでぶつけるなど、左右の3投手による小刻みで懸命な継投策。全員が束になり、5―4で競り勝った。4番で主将の此上(このうえ)平羅(たいら)は「最初はピンとこなかったけど、試合をしていて『これが魂の野球か』とわかった。全てを出し切ってやる感覚をつかんだ」。

 決勝で市和歌山に2―4で敗れたものの、「やればできる」と自信をつけたチームは勢いに乗る。近畿大会で準優勝し、初の選抜出場を手にした。

 米原監督は「振り返ると、ここまであっという間。いろんな子たちがつないできた12年でした」。選抜大会での目標はベスト8。此上は力を込める。「全員が気を引き締めてやれば、目標は達成できると思う」

 自信を持って、初の大舞台に挑む。(佐藤祐生)