南伊勢から届けられた「3ちゃん丸」 そっと押した女川の漁師の背中
東日本大震災で津波による大きな被害を受けた宮城県女川町の竹浦地区。震災後、この地区で養殖業を営む男性のもとに、一隻の船が届けられた。送り主は三重県南伊勢町の男性。船の名は「3ちゃん丸」――。
潮風が冷たく吹きつける女川町の竹浦漁港。白と水色に塗られた一隻の船が浮かんでいる。全長10・3メートル。船首には「丸久丸」と刻まれている。
「震災で全て流された。だから震災後、この船には本当に助けられました」
この地でカキとホヤの養殖を手がける阿部克夫さん(64)が話す。
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無数のがれきに「養殖やめっぺ」
2011年3月11日。あの日、阿部さんはカキの出荷に向けて、沖で作業をしていた。「ガタガタ」。急に水面が波打ち始め、同時に船が少し浮き上がった。目の前の山は音を立てて崩れていた。
「これはやばい」
船に積んだカキをそのままにして、陸に逃げた。100メートルほど離れた自宅に走ったが、家族はすでに避難していた。学校にいた3人の子どもも無事だった。
女川町では当時の人口約1万人のうち、827人が死者・行方不明者となった。町によると、竹浦地区でも関連死を含めて約20人が犠牲になった。阿部さんは「家も船も全て流され、先が見えなかった」。
「養殖やめっぺ」「やめたやめた」。漁業仲間とは、こんな会話もしていた。だが、どこにいても仕事はない。結局、国の漁業復興に向けた震災がれき撤去の支援を受けた。積み上がった無数のがれきに向き合いながら、養殖が再開できる日を待ち望んだ。
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悩んだ末、送り出した
女川町と同じ漁師町の南伊勢…