「どうにかできないか」 ウクライナ侵攻に東京大空襲の体験者が訴え
東京大空襲から10日で77年。東京都は同日、「平和の日記念式典」を開き、被災者や各国の駐日大使、小池百合子知事ら約120人が出席した。東京大空襲の死者を悼み、ロシアのウクライナ侵攻など今なお世界中で続く戦争の終結を願った。
式典の冒頭、参加者らは1分間黙禱(もくとう)した。被災者の代表として、中野区の佐藤富代さん(92)は「平和になるためには、国民が考えていくことが必要だ」と呼びかけた。
佐藤さんは1943年から学徒動員で、工場で航空機製造に携わった。中野に住み、空襲があると、自宅地下に掘った防空壕(ごう)に逃げ込んだ。戦争が激しくなると、親元を離れ、西秋留(現あきる野市)の事務所に勤め、寮で暮らした。
東京大空襲があったのはその時期。遠くの方が赤くなっているのに友人が気が付き、寮にいた十数人が窓にへばりついて見つめた。「自分のところでなければ」と願った。青梅に避難していた母親と妹ら、自宅にいた父親も無事だった。
あれから77年。いま、ウクライナ侵攻のニュースを食い入るように見つめる日々だ。改めて不戦の願いを強くしているという。
「どうにかできないのか。気の毒だ。戦争に反対する。大勢で阻止できるなら阻止したい」(関口佳代子)
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