古代の山陽道はハイウェー? どこを通っていたか調査進む

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編集委員・中村俊介
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 高度な文書行政が統治した律令時代、日本列島には古代版の“ハイウェー”ともいえる官道が張り巡らされた。調査が最も進んでいるひとつが播磨地方、いまの兵庫県南西部だ。昨年11月に同県明石市立文化博物館であったシンポジウムでは、謎も多い古代の交通システムを解き明かす最新成果が報告された。

 人が歩けば、自然と道はできる。が、律令下の官道は違う。計画的に膨大な労働力を投入して整備し、国家によって維持・管理された人工の幹線、それが駅路と呼ばれる古代官道なのだ。

 その特徴は、軍事上の大事件や災害の発生など国家を揺るがす緊急事態を最短距離で伝えるため、多少の地形などものともせず可能な限り直線を指向していること。中央と地方を結ぶ七つの大動脈のうち、最重要だった道が九州・大宰府へつながる山陽道だった。

 律令の施行細則「延喜式」(…

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