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ダウン症の「のぶくん」が消えた 40代で現れたアルツハイマー症状

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後藤一也
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 1969年の春。

 助産所で生まれた男の子は、腹膜炎を起こし、肛門(こうもん)も正しい形ではなかった。

 「このまま静かに見送ることも……」

 助産師の言葉に、父は「そういうわけにはいかない」と病院に連れて行った。

 そこで初めて、「ダウン症候群」と診断された。

 男の子は暢彦(のぶひこ)と名付けられ、みんなから「のぶくん」と呼ばれた。

 小学校に入ると、口数は少ないけど、元気いっぱいに過ごした。

 3学年下の妹はよく、先生から「お兄ちゃんがどこかに出て行ったから、捜してこい」と言われた。

 自分の名前が書けるようになったときは、家族で大喜びした。

 ただ中学生になると、同級生にからかわれるようになった。言い返したときもあるけど、その足は震えていた。

 運動は得意ではなかったが、母の勧めでサッカー部に入り、グラウンドの片隅で一人、ボールを蹴っていた。

 中学の卒業式を控えても、就職先が見つからなかった。母は、朝日新聞の投稿欄「ひととき」にこう寄せた。

 「お給料は、一般の人の半分でも三分の一でも、いや当分は無給でもいいのです。施設ではなく、世の中と交わりのある生活をさせてやりたいと願い続けてきましたが、実社会とは思いのほかきびしいもののようです」

 中学を卒業後は、障害者の作業所に通うことになった。おすしを持ち帰る箱を組み立てた。

 小学生にからかわれることもあったが、毎日3キロほど離れた作業所に自転車で通った。

 のぶくんが成人になったとき、母はもう一度「ひととき」に投稿した。

 「行く手は、まだまだ多くの困難が予想されます」

 困難が訪れたのは、その5年後だった。

 ある日、のぶくんが消えた。

 書くことが好きだったのぶく…

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