「政治的発言は控える」封印解いた理由は 宝田明さんが残した言葉

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核と人類取材センター事務局長・武田肇

 「ゴジラ」1作目で主演を務めるなど多数の作品に出演し、14日に87歳で生涯を閉じた俳優の宝田明さんは、還暦を過ぎてから戦争体験や核廃絶への思いを積極的に語るようになっていた。

 昨年夏には、国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道」(広島市広島平和文化センター、朝日新聞社主催)に登壇し、対談した大学生に「平和を、憲法を守ってほしい」と託していた。

 広島市で昨年7月31日に開かれた国際平和シンポジウム。宝田さんは「戦争体験を未来につなぐ」をテーマに、ともに2000年生まれで核兵器廃絶をめざす活動に取り組んできた広島出身の高橋悠太さん(慶応大)と長崎出身の中村涼香さん(上智大)と約70分にわたって語り合った。

ソ連兵に撃たれた経験、反戦の原点

 《(1945年)8月15日、ラジオで玉音放送があり、父も母も座り込んでいた。1週間すると、ソ連の軍用車両が40台以上、ハルビンの一番広い通りに侵入してきた(中略)ソ連兵が自動小銃を撃ってきた。四つんばいで、ほうほうの体で帰った》

 宝田さんは日本統治下の朝鮮で生まれ、旧満州中国東北部)ハルビンで終戦を迎えた。当時11歳だった。

 対談では、兄を捜していたとき、旧満州に侵攻してきたソ連兵に撃たれ、2カ月以上痛みにうめいた経験が平和を願う原点だと語った。

 《東宝に入って6カ月後、(映画「ゴジラ」の)「主役をさせてやる」と話があった。田中友幸プロデューサーは「おい出演者諸君、日本は昭和20(1945)年の8月6日、9日、広島、長崎で被爆した国家だ」と》

 第6期東宝ニューフェースに選ばれた翌年の54年、主役に抜擢(ばってき)された映画「ゴジラ」1作目は、米国のビキニ水爆実験と第五福竜丸乗組員の被曝(ひばく)をもとに発想が生まれた反戦・反核映画だった。

「ゴジラもヒバクシャだ」 と流した涙

 宝田さんは、水爆実験で放射線を浴びた巨大怪獣ゴジラに闘いを挑む青年を演じたことが、スターの階段を駆け上がるきっかけとなったと振り返り、こんな言葉を残した。

 《完成した時、スタッフで小さな試写室に集まって試写を見た。(水爆実験で安住の地を追われた)ゴジラが最後、科学者が作った兵器で海のもくずとして消えていくさまを見ながら、試写室でわんわん泣いた。彼自身もヒバクシャだと》

 宝田さんは「青い山脈」、「香港の夜」など数々の映画に出演。90年代には伊丹十三監督の「あげまん」や「ミンボーの女」などでも存在感を示し、ミュージカルでも活躍した。

還暦迎え、解いた封印 

 対談では、そんな映画界の「主流」にいた宝田さんが還暦を迎えてから、「政治的発言は控える」という封印を解き、反戦・反核を正面から訴え始めた経緯も触れた。

 《私は俳優として世に出たが…

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