耐え抜いた和歌山東の12年 創部への反対意見…杞憂だったと示した

佐藤祐生
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 創部から12年。グラウンドの草むしりから活動を始めた和歌山東が耐えて、耐えて、甲子園初勝利をつかんだ。

 1―1の延長十回、1死一、二塁を背負った。失点すれば、試合は終わる。救援した左腕山田健吾が相手打者を右飛に仕留め、飛び出していた一塁走者もアウトにした。

 直後の十一回、先頭瀬村奏威(そうい)の痛烈な中前安打で球場の空気が変わる。次打者山田のバスターは三塁後方への内野安打に。2番森岡颯太が右前にはじき返して勝ち越し、流れは確かなものになった。

 もともと和歌山東には軟式野球部しかなかった。

 2005年、当時のPTA会長でいまは野球部の特別後援会長を務める西山義美さん(65)らが硬式野球部の創部を提案した。

 夏の全国選手権の地方大会のように、「学校全体で応援できる部活動があった方がいい」との思いからだった。

 「うちの生徒たちをテレビに映すのは心配」

 周囲の反応は鈍く、そんな反対の声もあった。

 当時は髪を派手な色に染めたり、制服を着崩したりする生徒が多かったといい、仮に夏の和歌山大会での応援の様子がテレビに映れば「批判の的になるのでは」と懸念したようだった。

 諦めなかった。西山さんはほかの保護者や教員と一緒に翌年から朝、校門前に立った。頭髪や服装の乱れをただし、あいさつし続けた。1年もすると、目立った見た目の生徒は減っていき、あいさつも自然と返ってくるようになった。

 10年、部が立ち上がった。

 和歌山商を率いて選抜出場経験がある米原寿秀監督(47)が就き、選手たちと草むしりをしてグラウンドを整えた。

 遅刻を繰り返したり、問題を起こしたりする部員を根気よく指導した。

 チームは徐々に力をつけ、16年には秋の県大会で優勝するまでになった。

 現チームの持ち味は堅い守備力だ。初めて甲子園の土を踏んだこの日も浮足立つことなく、着実にアウトを重ねていく。エース麻田一誠(いっせい)を中心に粘り強く投げる投手陣を、無失策でもり立てた。

 そして十一回、耐えた末につかんだ勝機を逃さなかった。

 「自分たちの一勝は、支えてくれた方にも大きな一勝だと思います」。勝ち越し打を放った森岡は言った。

 「まさか校歌まで聞けるとは思わんかった。何もいえないですね」

 アルプス席で声援を送った西山さんは声を弾ませた。

 昨秋の県大会準決勝では夏の全国王者、智弁和歌山を破り、そのまま激戦の近畿大会で準優勝した。

 勢いだけではない。十数年をかけ、確かに成長したことを証明した1勝だ。(佐藤祐生)