一つは墓へ、もう一つは資料に ガマに残された三重の若者の「名前」

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大滝哲彰
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 太平洋戦争末期の沖縄戦には、三重県内からも多くの若者が召集され、遠い沖縄の地で戦死した。多くの犠牲者を出したあの戦争から長い時を経て、県内の男性が身につけていた二つの「認識票」が見つかった。一つは、収集したNPO法人によって遺族に返され、もう一つは沖縄で平和を学ぶ資料として使われている。

 三重県鈴鹿市加佐登1丁目にある集団墓地に、ひときわ古びた墓がある。正面にはこう刻まれている。

 「故陸軍少佐瀬古政秋之墓」

 沖縄戦で亡くなった息子・瀬古政秋さんを思い、両親が1961年に建てた墓だった。墓の側面にびっしりとこう彫られている。

 政秋は立命館大学卒業後 幹部候補生として電信隊に入り工兵少尉に任官(中略)沖縄に転戦 陸軍大尉となり通信隊長として活躍中 仝六月二十七日の戦に仝本島摩文仁で戦死 仝日付で陸軍少佐に昇進――。

見つかった認識票 弟の孫とつながる

 沖縄戦最後の激戦地、糸満市

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