奄美からの大応援団、甲子園に登場 大島敗退でも「島が活気づいた」

仙崎信一 前田伸也
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 8年ぶり2回目の選抜高校野球大会出場となった大島(鹿児島)は23日、強打を誇る明秀日立(茨城)に0―8で敗れ、初戦突破はならなかった。序盤に守備でリズムがつくれず流れを奪われた。アルプススタンドでは奄美大島から駆けつけた大応援団が選手たちの背中を押した。

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 「一緒にバッテリーを組んで甲子園に行こう」

 西田心太朗捕手は、大島(大高(だいこう))への進学を誘った大野稼頭央投手と甲子園の舞台に立った。「ここでプレーできて楽しかった」。約束をかなえた喜びを感じていた。

 大野投手とは奄美大島で小学校時代からライバル同士。打者として対戦するときは自然と力が入った。中学校も違うため同じチームではなかったが「いつかこの球を受けたいと思うようになった」。

 中学3年生の夏、長崎・対馬であった「離島甲子園」に出場したことをきっかけに、「島の仲間と甲子園をめざしたい」と大高行きを決めた。「そのためにはおまえが必要だ」と、本土の強豪校に行くかどうか迷っていた大野投手に正直な思いをぶつけた。

 結果、大野投手は島に残ることを選んだ。「稼頭央と野球ができるのを知ってうれしかった」と西田捕手。大野投手も「ずっとバッテリーを組みたかったキャッチャー。打者としても心強い」と信頼を置く。

 「甲子園では強気なリードが必要」と臨んだこの日の試合。初回は直球と変化球を織り交ぜたリードで、明秀日立の強力打線から3三振を奪う最高の立ち上がりを見せた。しかし、二回、打ち取った外野への飛球が安打になってピンチを招くと満塁から押し出しで失点。さらに守備の乱れで流れを失い、四回までに8失点を喫した。

 甲子園練習がなく迎えた初戦。西田捕手は守備がうまく機能しなかったことに「内野と外野の連携がとれてなくて、自分もうまく指示できなかった……」と責任を口にした。一方で、大野投手の投球は「三振もとれたし、これまで受けた中では良かった」とたたえた。

 試合後、大野投手は「夏に戻ってきて、この悔しさを晴らしたい」と口にした。バッテリーを組む西田捕手も同じ気持ちだ。(仙崎信一)

在校生300人が応援 同窓会中心に寄付募る

 試合の2時間前、緑の帽子とジャンパー姿の大島応援団が一塁側アルプス席入場口に向かって並び始めた。その先頭に大野稼頭央投手(3年)の父裕基さん(42)がいた。

 野球部OBの裕基さんは2014年に初出場した際、小学3年生の大野投手を連れて、一塁側アルプス席に陣取った。「あのとき隣にいた息子が、マウンドに立っているとは」と感慨深げ。全169球を目に焼き付けた。大会前は余計なプレッシャーを与えまいと一切の連絡を控えていた。「夏の甲子園が待っているぞ」と声をかけるつもりだ。

 在校生454人のうち、約300人が甲子園で応援。生徒たちは21日、3班に分かれて学校を出発。午前8時20分に学校を出発し、バスや飛行機、新幹線を乗り継ぎ、大阪市内の宿泊先に午後8時に到着した班もあった。「遠くから来たのだから、しっかり演奏したい」と吹奏楽部の田川海空(みそら)部長(17)らは島唄などで盛り上げた。ダンス部の政村李玖部長(17)も「演奏に合わせ島の雰囲気を伝えられた」と笑顔をみせた。

 離島からの宿泊・交通費などは同窓会が中心となって実行委員会を結成し、寄付を募った。同窓会長の丸田卯禮男(うれお)さん(82)は「全国の奄美出身者から寄付が集まり、力強い後押しになった。『すっとごれ(負けてたまるか)精神を見せてくれ』とのメッセージもいただいた」。

 14年に出場したOBたちも駆けつけた。主将で遊撃手の重原龍成さん(25)は試合終了のサイレンを聞き「悔しさと後輩への感謝の気持ちがこみ上げた」と目を腫らした。「8年前の初出場をきっかけに島の野球熱が高まり、2回目の出場で島が活気づいている」と重原さんは言う。

 三塁打を放った中堅手の小野浩之介さん(25)は「8年前は声援や指笛に勇気づけられた。コロナが終息し、夏は指笛が聞こえるアルプス席で声を出して応援したい」と期待を込めた。(前田伸也)