ラグビー場でぽつり語った森喜朗氏 「最後のとげ」が抜けた夕暮れ
数日ぶりに晴れ間が広がった3月20日の昼下がり。JR金沢駅から南約5キロにある金沢市営球技場のスタンドは、熱気に包まれていた。
この日、石川県ラグビーフットボール協会の創立70周年の記念試合として、県選抜チーム「オール石川」と早稲田大学ラグビー部の対戦があった。
スタンドは、早稲田大学の関係者や県内のラグビーファンで埋め尽くされ、立ち見客が出るほどの盛況ぶりだった。
ラグビーよりも、観客席の「重鎮」に注目
だが、私のお目当ては試合ではなかった。試合中、視線は、グラウンドではなく、正面スタンド上部に陣取ったスーツ姿の関係者席に、釘付けになっていた。
石川県出身の森喜朗元首相(84)が、観戦していたからだ。
同大OBで、日本ラグビー協会の元名誉会長。2019年のラグビーW杯日本開催の立役者として知られ、国際統括団体のワールドラグビーから、日本人初の功労賞を受賞した日本ラグビー界の重鎮だ。
そんな森氏が試合を観戦する――。1カ月前に情報を聞きつけた私は、何とか取材せねばと思っていた。
というのも、この日のちょうど1週間前、石川県政の分水嶺(ぶんすいれい)とも言える政治イベント「知事選」の投開票日があったからだ。
現職の引退に伴い28年ぶりに知事が交代する選挙だったが、自民党は候補者の一本化に失敗。前衆院議員の馳浩氏と、前参院議員の山田修路氏が出馬し、そこに前金沢市長の山野之義氏も加わり、保守が三つに分裂する激戦となった。
結果は、馳氏が次点の山野氏を7982票の僅差(きんさ)で破って初当選を果たしたのだが、異例の選挙戦に、メディアは告示前から、この選挙を様々な角度で報じていた。
その中に、今回の知事選を、「森氏の悲願」という視点で読み解く記事もあった。
どの記事もおおむね、要約すれば、以下のような内容だった。
《石川県政に今も強い影響力を持つ森氏が、政治の師弟関係にあり、国政への道筋を付けた馳氏を知事に送りこもうとしている。長年森氏が対峙(たいじ)してきた県出身の大物政治家、故・奥田敬和氏が担ぎ、7期28年間も知事職を務めた谷本正憲氏が今回引退を決め、県内で非主流派に甘んじていた森氏にとって、千載一遇のチャンスが訪れた……》
どれも森氏に近い関係者のコメントを引用し、このように伝えていた。
私も複数の県議や関係者への取材で、森氏が馳氏を知事に置こうと、関係者に電話を入れたり、地元県議にプレッシャーをかけたりしていたことを耳にし、同様の視点の記事を朝日新聞でも報じている。
だが、金沢総局で原稿をチェックするデスクから、ことあるごとにこう言われ続けた。
「やっぱり、本人に一度は当たって、話を聞きたいところだね」
この日が、その直撃するまたとない機会だった。
ノーサイドの笛が鳴り、記者は
前半が終了し、ハーフタイムが訪れた。試合後、森氏が立ち止まって取材に応じる時間はきっとないだろう。今がチャンスだと思い、関係者席の本人のもとに向かった。
「朝日新聞の記者です。知事…
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