学校で禁じられた手話 「誠の教育」を守った校長の生涯が映画に

有料会員記事

石田貴子
[PR]

 耳が聞こえない子どもたちが学校で手話を禁じられ、「口話」による教育を強いられた昭和初期に、一人一人の子に合った教育が必要と訴え、手話教育を守った人物がいた。大阪市立聾唖(ろうあ)学校(現大阪府立中央聴覚支援学校)の校長だった高橋潔さんだ。同校の元教員や耳が聞こえない当事者、その家族らが、高橋校長の生涯を描く映画の制作を進めている。(石田貴子)

映画の詳細はこちら

今秋公開を目指す映画「ヒゲの校長」実行委員会は、制作費を募るクラウドファンディングを実施中。4月3日まで。

「口話教育」への転換

 昨年末、京都府内の廃校。風がガタガタと窓を揺らす中、映画「ヒゲの校長」の撮影現場は熱気に満ちていた。この日の演技は全て手話。出演者の息づかいと、手をすったりたたいたりする音だけが響いた。

 撮影していたのは、職員室での一場面だった。海外視察先のアメリカでヘレン・ケラーから「日本でもシンプルな指文字をつくってはどうか」とアドバイスを受けた教員が、帰国後に高橋校長や同僚たちと「指文字」を作り出すシーンだ。

 「あ」はアメリカの指文字の「a」と同じに。「き」は、どうしたものか。そうだ、きつねの形にしよう――。現在日本で使われている指文字誕生の瞬間だった。

 時代は昭和初期。国はろうの子どもたちへの教育を、手話や板書などから、口の動きを読む「読話」や声を出す「発語」の訓練をする「口話教育」に方針転換した。多くのろう学校で手話は「口話学習の妨げになる」と禁止され、聞こえない教員の中には「発音指導ができない」と学校から追われた人もいた。

子どものニーズに合わせた教育を

 それでも、高橋校長は手話教育をやめなかった。すべての子どもに口話が合っているわけではない、と考えたからだ。国の方針に従わないと批判されながらも、「手話も必要だ」と全国の校長や口話法推進派に訴えた。

 教員たちと海外の事例を研究し、子どもの障害の程度などに応じて口話や指文字、手話を使う「適性教育」を編み出しもした。子どものニーズに寄り添う、現代の特別支援教育につながる考えだった。

 映画で、高橋校長は言う。「心に音を感じ、豊かな心を育む。それこそ誠の教育ではないでしょうか」

ろう者や関わる人たちが出演

 谷進一監督(50)は、俳優として手話を使う演劇に出演したことがきっかけで手話を学び、手話を題材にした映画を作り続けてきた。手話が禁止された時代があったこと、それにあらがった人たちがいたことを伝えたい、と今回の映画を企画した。

 ろう者は実際に耳が聞こえない人が演じ、聞こえる人の役もろう者と関わりのある人が演じる。

 主役の「ヒゲの校長」を演じ…

この記事は有料会員記事です。残り665文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【無料会員限定】スタンダードコース(月額1,980円)が3カ月間月額100円!詳しくはこちら