日本映画初の米アカデミー賞作品賞ノミネートで話題の「ドライブ・マイ・カー」。村上春樹の原作にもある「喪失と再生」という主題や多言語による意思疎通など、様々な角度からその魅力が論じられてきた。しかし、神は細部に宿る。ここでは「ファッション」「食」「建築」が専門の編集委員がニッチな視点で深読みしてみた。題して、ドライブ・マイ・カーの衣食住――。
凡庸な服、クライマックスで「再生」の色
「衣」から見ると、かなり奇妙な映画だと感じた。なにしろ、登場人物の着ている服や小物がほぼ全て凡庸。徹底的にシンプルで普通っぽい。衣装はセリフのひとつにあるように「平凡な添え物」そのもののように見えた。
たとえば俳優で演出家の家福(かふく)は、上質そうではあるけれど、いつも黒ずくめ。ジャケットもコートもパンツもごく一般的な形で、鍛えた筋肉で知られる演者・西島秀俊の体の線すらもうかがえない。
家福のドライバー・みさきに至っては、男物風のツイード調の上着やぶかぶかのかすれたチェック柄のシャツ、よれたパンツやすすけたキャップとスニーカー……。化粧っけのない顔と仏頂面があいまって、ファッション的にさえない人の典型のように見える。
他の出演者も海外キャストを含めて、みんな判で押したようにTシャツやニットなど安っぽくてありきたりの服ばかり。「ドライブ・マイ・カー」を収めた村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文春文庫刊)の一編で、今作にも一部取り込まれている「シェエラザード」の一節「どこかの量販店のセールで買ってきたような品」なのである。
強いて言えば、俳優の高槻がたまに着ていた幾何柄のニットなどが少しだけオシャレっぽいが、それが印象的というほどでもない。
ただ、劇中劇のレトロな衣装と、家福の車・サーブの赤い色以外は、色も特徴も感じさせないファッションが続く中で、クライマックスの北海道でのシーンだけは強いインパクトがあった。
北に向かう途中、みさきに買…