中国から日本へ 法律に感動して泣いた 司法通訳になった私の勉強法

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聞き手・森岡みづほ
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 捜査や弁護活動、裁判などの場面で、日本語以外の言葉を話す被疑者や被告人らの通訳をする「司法通訳士」。一般社団法人「日本司法通訳士連合会」(東京都港区)代表理事の天海浪漫さん(61)は長年、中国語の通訳としてこの仕事に携わり、司法通訳の養成講座も開いています。どうやって日本語を身につけたのか、司法の場での通訳には何が必要なのか、語学学習のツボを尋ねました。

天海浪漫さん

あまみ・ろまん 1960年、中国の内モンゴル自治区で生まれ、上海で育った。92年に来日後、司法通訳として活動。2009年に司法通訳の底上げのため「一般社団法人日本通訳士連合会」を立ち上げ、技能検定試験や認定試験を実施しているほか、養成講座も開いている。19年、第1期の司法通訳士として認定された。

 ――どんなきっかけで来日したのでしょうか?

 「1992年、30歳の頃に日本に来ました。当時の中国はあまり自由ではなかったので、とにかく外国に行きたいと思っていました。深圳でレストランのマネジャーをやっていたのですが、周囲には日本の工場が多く、日本人のお客さんも多かった。たまたま工場の偉い人と知り合って、その人が留学の保証人になってくれるということで、日本に行くことを決めました」

 「中国にいる間に日本人のお客さんにひらがなのカードを作ってもらったり、日本語で日記を書いて添削してもらったりして勉強しましたが、それでも、来日したころはまだひらがなが読めるくらい。東京の語学学校に留学して2年間、勉強しました」

 ――日本語は難しかったですか?

 「完璧を求めなければ、難しくありません。初めの頃は丸暗記ですが、ある程度勉強していくと、漢字の音読で推測することもできました。でも、中国語の助詞は日本語ほど複雑でないので、それが大変で、韓国人の友人から助詞を学びました。日本人は慣れているから、助詞を強調しては話さない。一方で、外国人は『に』とか『が』を丁寧に発音する。もちろん、日本の人から教わったのですが、自分の苦手なところは外国の人から学びました。文法などの基礎は語学学校で学びましたが、それだけでは表面的な会話ができるだけです。心の内についてやりとりができるくらい、本当に日本語が上達したのは、司法通訳人になって勉強を重ねてからです」

あの「塾」で猛勉強

 ――司法通訳人に関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

 「来日してすぐ、日本に住む中国人向けの情報紙に司法通訳人が書いた記事を読み、興味を持ちました。92年に来日して3カ月で、東京三弁護士会に登録しました」

 「でも、実際に仕事をしてみると、法律用語も日常の単語も、分からない言葉がいっぱいある。例えば、『松葉杖』というのは接見で初めて触れた言葉です。弁護士が『松葉杖』と言っても分からず、漢字を書いてもらって初めて分かった」

 「語学学校を卒業した後は、情報紙の記者をしたり、レストランの皿洗いをしたりしながら、東京の三弁護士会や法テラスから仕事が入れば通訳の仕事をしました。でも、自分の日本語のレベルはまだ低く、法律の知識も十分ではない。これでは無理だと思って、2000年に法律資格の受験指導校『伊藤塾』に入り、司法試験を目指す人たちの中に入って6年間、勉強しました」

 ――母語でない日本語で法律を勉強するのは大変じゃなかったのですか?

 「勉強は大変でしたが、私は…

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