被葬者に持論展開 高松塚50年記念し講座

清水謙司
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 高松塚古墳奈良県明日香村)の発掘50周年を記念した公開講座が27日、奈良県立図書情報館(奈良市)であった。色鮮やかな国宝壁画が描かれた石室に葬られたのはどんな人だったのか? 千田稔館長(歴史地理学)が自説も含めた様々な被葬者論を紹介した。

 高松塚古墳は1972年3月、関西助教授だった網干善教氏(故人)が学生らと発掘調査をしていたところ、同月21日、埋葬施設の石室で男女の人物群像や「四神」、星宿図などの描かれた壁画が見つかった。

 壁画発見から半世紀が過ぎたいまも、被葬者は特定されていない。古墳は7世紀末から8世紀初めの築造と考えられている。出土した人骨から、被葬者はたくましい体格の熟年男性ともみられ、高位の人物と考えられている。東壁男子群像には、貴人にさしかける蓋(きぬがさ)が描かれている。

 千田館長はこの日、朝鮮半島の百済から亡命したという百済王善光を被葬者とする持論を述べた。「四神」が描かれた韓国の古墳群や、当時の百済と日本との関係を説明。百済王善光は故国に帰らなかったとして、「大事に扱わないといけない人たちだった。王家の人を葬る方法として、四神を描いた壁画古墳を造った」と話した。

 天武天皇の皇子・忍壁皇子(おさかべのみこ)や左大臣の石上麻呂など主な被葬者候補も紹介した。「被葬者が誰であろうと、その人生に尊厳の念を持って語らなければならない」と強調。東潮・徳島大名誉教授も登壇し、「高松塚古墳壁画と粟田真人(あわたのまひと)」と題して講演。遣唐使で704年に帰国した粟田真人や、大宝律令を編さんした責任者で翌705年に亡くなった忍壁皇子らについて語った。(清水謙司)

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