戦争の下、国家は個人を領有する 私は自由を信仰する 李琴峰さん

有料会員記事ウクライナ情勢

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李琴峰さん(寄稿)|小説家

 1989年、台湾生まれ。台湾大学卒業後、2013年に来日。昨年「彼岸花が咲く島」で芥川賞。近著に「生を祝う」。

 アメリカの作家アンブローズ・ビアスは「悪魔の辞典」で、「平和」とは「国際関係について、二つの戦争の期間の間に介在するだまし合いの時期を指して言う」と述べている。

 振り返ると、冷戦終結後の過去の三十数年の間でも、人類は完全な平和など享受していなかった。毎年どこかで戦争や内戦、紛争、暴動が起き、戦闘が行われ、血が流され、命が失われていく。戦争がなくても、地域によっては独裁政治や言論弾圧によって、やはり人々が殺されている。死は、いつ何時でもこの地上に溢(あふ)れている。そして死にゆく者にとって、他国から侵略されて殺されるのと、自国政府に弾圧されて殺されるのとで、恐らく大きな違いはないだろう。どちらも同様におぞましい。

 それでもロシアによるウクライナ侵攻がこうも我々の注意を引いたのは、国際政治に与えるインパクトの大きさが原因にほかならない。冷戦後の国際秩序が覆されるのではないか、アジア太平洋地域の安全保障も脅かされるのではないか、核戦争や第3次世界大戦に発展するのではないか――。戦争が始まって以来、様々な主張や議論がインターネットやメディアで飛び交っている。この事態を利用して「日本は核共有について議論すべきだ」「やはり憲法9条は改正すべきだ」と持論を展開し世論誘導を試みる政治家も目立つ。

 ウクライナ侵略戦争という事態について、私は言葉を持たない。現に市街戦が行われ、民間施設が瓦礫(がれき)と化し、人間が砲火に撃たれて死んでいるこの状況において、安全なところにいながら「ロシアに負けるな! ウクライナは徹底抗戦しろ!」と煽(あお)るのも、「これ以上犠牲を出さないためにウクライナは降伏すべきだ」とすまし顔で論じてみるのも、無責任極まりないだろう。

 だからこれから書くのは眼前の事態に対する論評ではなく、あくまで私個人の体験や思考に過ぎない。

軍事訓練が課される台湾の高校

 日本人なら驚くかもしれないが、台湾の高校では「軍事訓練」がカリキュラムに組み込まれている。軍学校ではない。普通高校でも軍事訓練は必修だ。そして高校と大学には「軍人教官」というものが存在する。彼らは学校に配属される現役の軍人で、生徒の生活指導や秩序の維持、そして「軍事訓練」の講義を担当する。

記事の後半では、共同幻想としての地位を維持するために絶えず物語を要求する国家。そして、李琴峰さんが信仰する「自由」について論じます。

 想像してみてほしい。高校や…

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    藤田直央
    (朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)
    2022年3月29日8時27分 投稿

    【視点】「私は小説書きである」と李さんは語り、「民族の大義とか、祖国の偉大なる復興とか、それらの大きな物語とは一線を画す、個人に属する小さな語りを模索したり、編み出したりするのが私の仕事だ」と敷衍します。同様の仕事を心がけつつ、「大きな物語」に傾き