新婚生活は2世帯だけの集落で 地震から11年、村に残った協力隊員

[PR]

 2011年3月、東北を大津波が襲った約12時間後、震度6強の長野県北部地震に見舞われた栄村。地震の復興活動をきっかけに地域おこし協力隊員として来た男性が、今月末までの活動期間後も村に残ることを決めた。過疎化に苦しむ村の明るい話題となっている。

 県内最北端、新潟との県境に位置する栄村。今月10日、まだ2メートル以上の雪が残る村役場に、佐藤慎平さん(27)と真由美さん(34)が姿を見せた。手には婚姻届。「いい家庭にしていきたい」と、そろってはにかんだ。

 岩手県出身の慎平さんは、地域おこし協力隊員として3年前に栄村に。学生時代に野沢温泉村のスキー場でアルバイトをし、「北信地域にいつか住みたい」と思っていた。復興に取り組む栄村での隊員募集に手をあげた。

 農家の手伝いから事業化を目指すシェアハウスの準備など活動は様々。活動期間は今月末までだが、新婚生活も村でスタートさせる。村の人々の温かさや「中途半端ではない振り切った田舎」と表現する環境にほれこんだ。

 妻の真由美さんも「自然の中で暮らしたい」と、東京から中野市へ来た移住者。共通の趣味のスノーボードを通して慎平さんと知り合った。ただ、アパートの隣人の顔も知らず「人間関係では都会と変わらなくて物足りない部分もあった」。慎平さんと知り合ってから知人も増え、栄村で暮らすことに抵抗はないという。

 2人が住むのは村役場から車で数十分かかる坪野集落。11年前の被害も大きく、地震前の13世帯28人が、今はわずか2世帯3人だけ。それでも慎平さんは「栄村の自然をしっかり味わえるところ」と移住を決めた。

 新居は約3年半前から住人がいない空き家だ。家の中には湧き水が引かれ、薪(まき)ストーブも。敷地には土蔵と山小屋もある。その住宅に2人を迎えるため、家の片付けをしているのが宮川裕子さん(69)。この家で生まれ育ち、今は別の集落で暮らしている。

 「両親が私たちを育ててくれた家をつぶしたくない」と、空き家となっていた間、きょうだい2人や夫たちと屋根の雪下ろしは欠かさず、窓を開けて空気の入れ替えもしてきた。

 まだ手足がかじかむ季節の作業だが、母の部屋から自分たちの通知表や母子手帳が出てきて「宝物として持って帰った」。役場から税金の督促状も。体が強くなかった両親が苦労しながらも懸命に育ててくれたことを改めて知った。

 その両親は、ひ孫も含めて家族が集まるのが楽しみだった。空き家の期間をへて、若い2人が住むことになり「仏さんになった両親も大喜びしていると思う」と声を弾ませる。

 栄村は元々、高齢化が進んでいたが、11年前の地震も影響して人口減少が加速。地震直後の11年4月は2311人だったが、先月は1687人と約3割減った。

 佐藤慎平さんは村全体の将来に「不安がないと言えばうそになる」と打ち明ける。ただ、準備してきたシェアハウスは、来月の本格オープンを控えて利用者も決まった。

 「地震があったから復興に取り組む集落が出て、僕が来た。それを一つの希望と考えることもできる」と佐藤さん。地震が残したものは傷痕ばかりではないと思っている。(長野朝日放送・山岸玲)

     ◇

 朝日新聞長野総局と長野朝日放送は取材などで協力しています。長野朝日放送の記者がテレビニュースの取材の現場から伝える記事も随時掲載します。

     ◇

 〈県北部地震〉 2011年3月12日午前3時59分、長野・新潟の県境を震源とする地震が発生。栄村で最大震度6強を観測し、直後に震度6弱の余震も2度起きた。全壊33軒を含む住宅694軒が被災。一時は村民の8割にあたる約1700人が避難生活を送り、そのストレスなどで3人が災害関連死と認定された。