外れ外れ1位・山田哲人の分岐点 19歳の秋、監督を動かした一言
まだ線の細かった山田哲人のバットから、想像もつかない打球が次々と飛んでいった。
2011年春、東京ヤクルトスワローズの春季キャンプでの一コマだ。
監督だった小川淳司・現ゼネラルマネジャー(GM)は、打撃ケージの後ろから、じっと見つめていた。
度肝を抜かれた。
かつてヤクルトに所属し、NPBで通算301本塁打を放った強打者を引き合いに出すほどに。
「強烈に記憶に残っている。バレンティンと同じぐらい飛ばしていたから」
当時、山田は、まだ高卒新人だった。
1軍のキャンプがオフだったその日、小川GMは山田を含めた2軍選手たちを1軍の球場に呼び、打撃練習をさせていたのだった。
大阪・履正社高出身の山田は、10年秋のドラフト1位でヤクルトに入団した。
球団にすれば、斎藤佑樹(元日本ハム)、塩見貴洋(楽天)を抽選で外した末の獲得。
いわゆる“外れ、外れの1位”だった。
打撃は即戦力という印象を練習で小川GMに与えた山田。長く1軍で活躍するため、まずは2軍で体力、精神力、守備力を磨くことになった。
その年の秋、ヤクルトはレギュラーシーズンを2位で終え、クライマックスシリーズ(CS)に進出した。最終ステージで、シーズン1位の中日に挑むことになる。
同じ頃、宮崎で開かれていた若手育成の場、フェニックスリーグに山田は出場していた。
「中日の1軍投手を、山田が…