12年ぶりの埼玉県皆野町長選 見えてきた課題とは 告示日ルポ

岡本進
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 埼玉県皆野町は、民謡「秩父音頭」の発祥の地として知られる。約9300人が暮らす町はいま、12年ぶりの町長選のまっただ中だ。選挙が告示された5日、町の一日を追った。

 午前8時半

 町役場で立候補の受け付けが始まった。届け出たのは新顔4人で、うち3人が元町議。もう1人は音楽企画会社の経営者だ。

 ある選挙事務所で出陣式の準備を進めていた町議が言った。「皆野は長瀞町と秩父市との通過点になっている。観光では食べていけない。働く場を作らないとダメだ」

 コロナ禍前の2018年の観光入り込み客数は、秩父市の559万人、「川下り」で有名な長瀞町の298万人に対し、皆野町は52万人だった。

 午前9時半

 出陣式が始まる。「町の未来を決める大事な選挙だ」。候補者がマイクで訴えるなか、陣営幹部が本音を漏らした。「過疎対策は国でやってもらわないと。産業も乏しい小さな町が、どうこうできる話じゃない」

 町の人口は、この10年で1600人近く減った。昨年1年間で生まれた赤ん坊は37人。町によると、労働者の6割は町外に勤めている。「通勤の不便さから、結局は家族で町外に移り住む人が絶えない」と職員は話す。皆野町は長瀞町、ときがわ町とともに1日付の官報で「過疎地域」に追加指定された。

 ほかの秩父地域の市町と同様に、皆野町も古くは養蚕や繊維業が栄えた。養蚕の衰退後は電子部品などの製造業が盛んになったものの、国際競争にさらされて下火になっていく。

 正午過ぎ

 選挙カーで町内を回っていた候補者が昼食のため、選挙事務所に戻ってきた。「時代の流れには逆らえない。企業誘致も自治体間競争。皆野に有利な点はないんだから無理だ。空気に向かって殴りかかるようなもの」。そして、昔日を思い出すように言った。「町にとっては、あれを手放したのが痛かった」

 「あれ」とは、20年秋に秩父市に新工場を建てた鍵メーカーを指していた。それまでは製造拠点を皆野に置いていた。100人を超す従業員を抱える町最大規模の工場だった。

 首都圏で20年ぶりの大雪となった14年2月。除雪が行き届かず、工場の出荷が滞った。この出来事をきっかけに、メーカーは交通の便の良さと広い土地を求めて秩父市に拠点を移した。

 午後3時

 石木戸道也町長が当時を振り返った。「皆野の7割は山林で、中央には荒川が流れているため、平地が少ない。鍵メーカーの移転候補地を何カ所も示したが、見合う場所がなかった」

 町長を06年から4期務め、今期で引退する。町は合併に活路を見いだそうとした時期もあった。相手は秩父市か長瀞町か。住民投票まで実施した。

 だが、町内は混乱し、収拾役として推されたのが、町議の石木戸氏だった。「昔は町を二分した政争が激しく、町の委員1人を決めるにも、融和にエネルギーをそそいできた」

 午後4時

 街中の選挙事務所にいた陣営幹部は「田舎の選挙だから投票率は70~80%はいくだろう。病院の近くまでバスが行けるようにするなど、どの候補の訴えも、層の厚い年配者向けが目立つ」と指摘した。

 午後4時半

 1月14日にオープンした民間のコワーキングスペース「みなのLABO」にいた若い男性が言った。「皆野は良い場所も多いのに発信が弱い。町長選が、町が変わるきっかけになってくれれば」。カフェを併設した共同のワークスペースや会議室のほか、3Dプリンターやレーザー加工機など、起業に向けた最新設備がそろう作業場もある。国の補助金を活用し、町と民間会社が整備した。

 「大きな工場に『働く場』を頼るのではなく、新たな事業を興す動きを支えていきたい」と町の担当職員は話した。

 午後6時

 秩父鉄道の皆野駅の近くで、ある候補はこの日最後の街頭演説をした。夕暮れ時で人通りはなく、時折、車だけが行き交う。ちょうど桜が満開を迎えた静かな町に、マイクの音だけが響き渡っていた。(岡本進)