雨にぬれた墓石には、2人の名と「原爆死」という文字が刻まれていた。
岸田綾子さん 享年29
英治さん 享年4
母子は1945年8月6日、米国が広島に投下した原爆のために亡くなった。
墓が立つのは、広島県東広島市志和地区の農村地帯にある岸田家の墓地だ。
今年3月26日、岸田文雄首相がここを訪れた。首相に就任した後では初めての墓参りだ。
「演説したでしょ」首相は言った
ともに政治家だった父・文武氏、祖父・正記氏の墓に参った岸田氏は雨の中、10基以上の墓を一つひとつ回って線香を上げた。
綾子さんと英治さんの墓の近くで、岸田氏は同行取材していた記者団に言った。
「あの墓が、サーロー節子さんのお姉さん。で、4歳ってあるでしょ。あれ、爆死したおいごさん。ノーベル平和賞で演説したでしょ」
サーロー節子さん(90)は広島出身の被爆者で、現在はカナダで暮らす。核兵器廃絶を世界で訴え続け、ともに活動してきた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年にノーベル平和賞を受賞した時、ノルウェー・オスロであった授賞式で演説した。
《広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました》
英治さんの母・綾子さんは、サーローさんの姉だ。綾子さんの夫のいとこが、岸田氏の祖父・正記氏にあたる。
祖父と祖父 岸田家との「縁」
広島出身で、いま広島総局にいる記者の私(40)が、地元選出の岸田氏を直接取材するのはこの日が初めてだった。
ただ、「岸田家」には縁を感じていた。というのも、私の祖父は岸田氏の祖父と面識があったようだからだ。
昨年12月、私は広島市内の実家で、30年以上前に亡くなった祖父が残していたアルバムを初めて見た。戦前の広島のスナップ写真が並ぶ中、集合写真が1枚あり、こう書き添えられていた。
《岸田正記氏を中心とする広…
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