あの夜、リンクを去らなかった小平奈緒 14年前から失わないもの

編集委員・稲崎航一
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 スピードスケートで、日本女子史上初の金メダリストとなった小平奈緒(35)が12日、現役引退を表明した。涙あり、スポーツ論あり。「らしさ」が詰まった1時間半だった。

 涙もろい小平らしく、冒頭から言葉を詰まらせていた。「たくさんのご声援に支えられ、私はここにいるんだと考えると……」

 五輪の思い出を問われても、平昌の金メダルだとは答えない。「私にとっては人生を豊かにする一つの大会。たまたま一番速く滑れただけで、世界の仲間といい空間を過ごせたなと」

 けがで不本意な結果になった最後の北京五輪も「受け入れるには時間がかかったが、スポーツの違った一面が見られた。生きる姿を届けられたのはよかったな」と話す。

 「スポーツって、人生を豊かにするものであってほしい」と願う35歳。「競技スポーツより、地域のみなさんが笑顔になれるような存在でいたい」と次の夢を語った。

人生は自分で考え、決める

 中学のころに出会った好きな言葉は「勇往邁進(ゆうおうまいしん)」。

 五輪やメダルといった結果にとらわれず、自分で決めた道を真っすぐ進んできた小平奈緒らしい決断だった。

 「トレーニングをすればまだ戦えるけど、スケートだけで人生を終わりたくない。そういう気持ちで大学で教育を学んだり、知らない世界に興味を持ったりしてきた。ゴールラインを自分自身で決めたいと思った」

 海外遠征に行くと、大学生の小平は一人でいることが多かった。

 指導する結城匡啓(まさひろ)コーチは信州大の仕事があり、遠征に同行できないことも多い。その分、「自分で考えたり、勉強したりする時間ができた」と振り返る。

 記者が初めて小平に会ったのは、2005年1月の全国高校総体だった。伊那西高3年で500メートル、1000メートルを制した。その後、10年のバンクーバー五輪と翌シーズンまで取材をさせてもらった。

 ドイツで行われた2008年2月のワールドカップ(W杯)。彼女は自分のレースが終わっても帰らず、暗くなっても残っていた。

 リンクサイドのマットに片足をかけてストレッチをしながら海外勢の滑りを眺めていた小平に、なぜ帰らないのかと話しかけた。

 「え、せっかく来ているのに、速い選手の滑りを見なきゃもったいないじゃないですか」

 そんな話から始まり、子どものころのことや、高校時代にやり投げにスカウトされた話を聞いた。「将来は先生になって、スケートの楽しさを教えたい」と夢を語ってくれた。

 大学1年のころは学業との両立が難しく、タイムが伸びなかった。環境に恵まれた実業団選手をうらやましいとも感じた。そんな時、結城コーチの言葉が支えになった。

 「競技だけやっていればいい、というのは日本だけだぞ」。1980年レークプラシッド五輪で5種目を制し、引退後は整形外科医になったエリック・ハイデン(米国)の存在を教えてもらい、励みにした。

画一的な指導、嫌い

 小平は探究心の塊だ。

 スケートを始めた3歳のころから、強制ではなく、自分で考えてやるのが好きだった。例えば、小さな子どもはカチャカチャ、足を回転させて滑る。だけど、小平は「違う」と思った。

 「大人は腕を振って大きく滑っている」。だから自分も大きく腕を振り、ダイナミックに滑った。

 画一的な指導が嫌だったから、スケートの強豪校には進まず、高校に2人だけの同好会を作って、中学時代からのコーチに指導してもらった。

 実業団の誘いを断り、結城コーチの指導を受けるために信州大を受験した。コーチと討論しながら、スケートの動作解析を研究するのが楽しかった。

 一度、撮影した滑りの写真を本人に送ったことがある。「(素人ながら)いいフォームが撮れたと思います」と書くと、「止まっている動き(写真)に惑わされてはいけないんです。スケートの軌跡がどう動いているのかが大事」と返ってきて、うならされた。

記者の背中に隠れた彼女が…主将に

 そんな研究熱心さと、ダイナミックな滑りとは裏腹に、性格はシャイだ。

 海外遠征からの帰国便だった。成田に着き、入国審査、税関と通過する。出口にはテレビカメラなど報道陣が待ち構えている。

 背後に気配を感じて振り向くと、小平は同行した記者らの後ろにぴったりついていた。

 「何をしているの?」

 「みなさんの後ろに隠れて出れば、外の報道陣に気づかれないかなって……」

 少女のころ、岡崎朋美三宮恵利子らのサインがほしくて列に並んだが、他の人に横入りされても前に出られなかった。

 初めてW杯出場が決まった20歳の秋。「遠征? 何を持っていけばいいのかわかりません……」。消え入りそうな声で言っていた。

 そんな彼女が、18年平昌五輪で日本選手団の主将を引き受けたと聞いて驚いた。「自信がついたというか、不安もプレッシャーもすべてを受け入れたんでしょうね」。当時31歳。オランダ留学を経て、たくましさを増した。

 底知れぬ探究心と努力。そこにメンタルの強さが加わった。

 金メダルは必然だった。

邁進する次の道

 この日の会見で、小平は言った。「地域の皆さんが笑顔になれるような、身近で、心に穏やかな炎をともせる存在でいたい」

 トップ選手を続けてきて「アスリートが特別な、遠い存在になっている」との違和感があったという。メダルや順位、タイムなどではなく、もう一歩踏み込んだところにスポーツの良さがあると知ってほしい。

 「先生になって、子どもにスケートの楽しさを伝える」からは少し変わっても、次の邁進する道は、見えている。(編集委員・稲崎航一)