第1回「病院お願い」信じなかった入管職員 孤独な衰弱死、その最後の記録

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鬼室黎
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 2021年3月6日、名古屋市にある出入国在留管理庁の施設で、33歳だったスリランカ人の女性が、衰弱の末に死亡した。強制退去の対象となった外国人を収容する施設に長く留め置かれ、十分な医療を受けられなかったウィシュマ・サンダマリさん。その死は、日本の入管行政の不透明なありようを根本から問う契機になった。

 夢破れたウィシュマさんの死から1年が経った今も、その原因と死に至った過程は解明されていない。私は、入管庁が21年8月に公表した調査報告書を改めて読み込み、関係者を訪ねた。浮かび上がったのは、オーバーステイ(超過滞在)となった外国人を収容する政策の不透明さと、「全件収容主義」と呼ばれ、対象者の収容を前提にして退去強制手続きを進める政策のゆがみだった。

 彼女の命を救うことができなかったのはなぜなのか。報告書を中心に、ウィシュマさんが死に至る日々の記録をたどることから始めたい。

 出入国在留管理局の収容施設で何が起きたのか――。2021年3月、名古屋の施設でスリランカ人女性が死亡しました。入管庁、遺族、関係者への取材から、その経緯と背景に全6回の連載で迫ります。

 「もう死んでも良いと思う時がある」

 入管庁の調査報告書によると、ウィシュマさんは死の3日前、深い絶望を感じさせるこんな言葉を口にしていた。

 体調の悪化は、少なくとも1カ月以上前から始まっていた。

 報告書によれば、ウィシュマさんが看守の職員に初めて体調不良を訴えたのは1月15日。施設で内科医の診察を受けた同28日の夜には、居室の流し台に嘔吐(おうと)して血を吐いたという記録がある。

 2月になると、面会時も嘔吐用のバケツを持つほどで、ウィシュマさんが耐えられずに面会が中止になることもあった。

 報告書をつぶさに読むと、ウィシュマさんは2月中、施設で提供される官給食のうち、10日間分はまったく食べていない。残る日数も、おかゆや副食を数口しか食べていない日が多い。

 バナナや食パン、砂糖などを食べている日も中にはあるが、全体的に食事量が少なく、少しずつ体を動かせなくなってゆく。

 2月中旬以降は、転倒の記述や職員に繰り返し点滴を求めるウィシュマさんの発言が増えていく。例えば23日にはこう訴えていた。「病院持って行って。お願い」「私、病院点滴お願い」

 死の3日前の3月3日は、ウィシュマさんが知人に会った最後の一日となった。

 報告書によるとこの日、ウィシュマさんは座った姿勢を続けられず、食事中も頭や首を支えてもらわなければならなかった。すでに自力では飲食できず、「担当さん」と呼ぶ職員にスプーンでおかゆを口に運んでもらっていた。

 食事を吐いたという記録は報告書では確認できないが、後に監視映像を見た遺族代理人の一人、駒井知会弁護士は「ウィシュマさんはこの日、青いバケツに吐き続けていた。吐いても吐いても、職員はすぐに食べものを口に運んでいた」と話す。

 この日午前10時すぎには、外国人支援団体「START」の顧問で、非正規滞在の外国人の支援を続けてきた松井保憲さん(67)と眞野明美さん(68)がウィシュマさんとの面会に訪れた。

 松井さんは語る。「目はくぼみ、手は動かず、唇の白い唾液(だえき)が息で膨らんでも本人は気づかない。5日前の面会時よりも明らかに生気がなく、このままでは危ない、死んでしまうと思った」

 別れ際、いつものようにアクリル板越しに手を合わせることもできなくなったウィシュマさんは2人に最後の言葉をかけたという。「今日、連れて帰って」

 面会時間は約23分間だった…

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