メキシコ・ティフアナ市の国境地帯。高さ5メートルほどの二つのフェンスに挟まれた緩衝地帯を越えた先には、米サンディエゴ市が見える。

 気温が30度ほどに達した4月上旬、国境から100メートルほどの場所にある、野球場や体育館などを備えた「ベニート・フアレス運動場」を訪れた。1800年代のメキシコ大統領の名を冠した施設は市民の憩いの場だが、現在はウクライナから逃れてきた人たちが集まるシェルター(避難所)になっている。

拡大する写真・図版避難所の「ベニート・フアレス運動場」から国境に向かうバスに乗り込むウクライナ人ら=2022年4月10日午後、メキシコ・ティフアナ市

 午後1時ごろ、20人ほどを乗せた1台のバスが施設に到着した。ティフアナ市内の空港に着いたウクライナ人を運ぶボランティア団体の車だ。施設の入り口は二つに分かれ、「ウクライナ」と書かれた矢印に沿い、バスから降りた人たちは続々と中に入った。

【連載】ウクライナ危機 市民は今
 ロシアの侵攻で戦禍を逃れた大勢のウクライナの人々が、米国と国境を接するメキシコ北西部のティフアナ市に集まっている。彼らはなぜメキシコを経由して米国を目指すのか。どんな境遇が待っているのか。その一方で、別の避難所では長期間にわたってとどめ置かれている人々もいる。現場から報告する。

 妻と長男と3人で避難してきたイワン・セルギモフさん(35)は「長旅でとても疲れた。今すぐ寝たい」。ウクライナ南部オデーサ(オデッサ)を離れたのは、ロシアが侵攻する4日前。ジョージアに1カ月滞在し、その後はイタリアへ。だが戦争の長期化でウクライナに帰国するめどが立たず、米国に行く決心をした。メキシコ市経由で22時間の旅を終え、米国入国後はいとこが住むロサンゼルスに向かう予定だ。

「ロシアが憎い。だけど……」

 オデーサはロシア軍の攻撃を受けているとみられ、地元に残った友人からは住んでいたアパートが倒壊したと伝えられた。その友人とは今は連絡が取れないという。「自分に残されたのは家族と、スーツケース3個のみ。だが、避難できただけでもありがたいのかもしれない。いつかウクライナに戻りたいが、とりあえずは米国で再出発する」と話した。

 ウクライナから到着した一行は…

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