第4回雨上がりの除幕式、石碑前で握った手 男の子は本土で医師になった

沖縄・本土復帰50年

棚橋咲月
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 日本復帰によって琉球政府が沖縄県になった1972年5月15日、「沖縄県庁」の石碑が除幕された。

沖縄1972ー写真でたどる日本復帰50年ー

1972年5月15日、長い米国の統治を経て、沖縄が日本に復帰しました。激しい変化にもまれる人々の姿を朝日新聞のカメラが収めていました。半世紀がたった今、あなたはどこにいて、何を思うのでしょう。

 大役を務めたのは、県庁にほど近い真和志(まわし)小学校の5年生2人だった。その一人の宮良高維(みやらたかゆき)さん(60)はいま、神戸大医学部付属病院感染制御部の特命教授として、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるために院内外で指導にあたっている。2月に取材で病院を訪ねた時も、宮良さんの携帯電話が鳴りやまなかった。

 半世紀前。新5年生になって間もなく、校長室に呼ばれた。「怒られるのだろうか」。どきどきしながら行くと、「除幕式の代表です」と告げられた。5月の復帰だから5年生から選ばれることになり、成績や作文の入賞歴から担任が推薦してくれたと聞いた。

 復帰の日、朝から降っていた雨は、式の前にやんだ。この日のために買ってもらったブレザーを着ていたが、恥ずかしくて式の前に脱いでしまった。

 午前9時。赤土がぬかるむ中、「沖縄県庁」と書かれた石碑を覆う白い布のひもをもう一人の女の子と2人で引っ張った。雨にぬれた布が石に張り付いてしまい、後ろにいた県庁職員の力も借りてようやく外した。

 式が終わり、前夜まで琉球政府主席だった屋良朝苗(やらちょうびょう)新知事と握手した。温かく、ごつごつとした分厚い手。「勉強、頑張って」と声をかけてもらった。主席は米側が長く任命権を握っていた。沖縄の人々の悲願だった選挙で、日米両政府が支援する候補を破って選ばれた。屋良氏は、石碑を「躍進する新しい沖縄県の象徴」と表現した。

 宮良さんはその後、母と一緒に県庁そばの百貨店「リウボウ」に向かった。この日に通貨がドルから円に切り替わり、宮良さんは父が出張から帰った時にもらってためていた日本円を初めて使い、プラモデルの塗料を買った。緑っぽいドル札と違い、千円札はピンク色や紫色、黄土色、青色が使われていて鮮やかで、両手で掲げて日光に透かしたことを覚えている。普段は帰宅が遅い父も、この日ばかりは夕方に帰り、家族4人で食卓を囲んで復帰を祝った。

 琉球大大学院を修了後、近畿大などを経て神戸大へ。新型コロナ禍では、人口10万人あたりの感染者数で全国最多が続く沖縄県の状況が気になり、大学時代の友人の医師に様子を聞くこともある。沖縄県では親戚同士で集まる機会が多いことが一つの要因ではないかと考えている。

 沖縄の実家には89歳の母が暮らしている。和室には、除幕式の記念に受け取った琉球漆器の飾り盆が50年間大切に飾られている。(棚橋咲月)