下ネタや悪人排除、痛くないスリッパ…吉本新喜劇を支えた作家の魂

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編集委員・後藤洋平
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 吉本興業の顧問で、数多くの新喜劇の脚本や演出を担った竹本浩三さんが2月18日、亡くなった。

 1959年、戦後の吉本興業が大阪・梅田に初めて演芸専用の劇場を構えた際、当時社長だった林正之助から、喜劇の脚本と演出を命じられた。

 文芸顧問として在籍していた晩年には、顔見知りの記者たちを喫茶店に誘い「当時は新喜劇といえば松竹。吉本なんか相手にされてなかった」と大声で話していた。

松竹新喜劇より「10歳若い客を」

 1960年代、吉本新喜劇は岡八郎、花紀京、白木みのる財津一郎らを擁して一躍人気になった。2017年に発行された「吉本興業百五年史」に竹本さんが寄稿した記事によると、意識して下ネタを排除し、極道でも弱くて憎めないなど、根っからの悪役を作らないようにしたという。

 松竹新喜劇と差別化するため、早口のセリフでのテンポにもこだわった。

 「一部の観客が『年寄りはついていけん』と文句を云(い)うと聞いたが、どこ吹く風と気にしなかった。そんなお客は松竹へ行けばいいので、動的な新喜劇には合わない。吉本の観客は、松竹より10歳の若さを狙った」

 また当時、舞台では座員同士がスリッパでたたき合う演出が多かったが、座員たちが使うスリッパの底はフェルト製だった。「全員がズボンの後ろにスリッパをしのばせていた。底がフェルトであると(たたいた際の)音が大きく聞こえ、サモ痛そうに見えるがその実、痛くも痒(かゆ)くもない」というのだ。

 朝日新聞大阪本社版の夕刊で…

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