「児相、何してるんや」と言われて 元所長が明かす虐待死ゼロの近道
子どもを守る「最後のとりで」と言われる児童相談所。福岡市で所長を18年間務めた藤林武史さん(63)は、全国で初めて児相に弁護士を常駐させ、虐待などで親と暮らせない子が、なるべく施設ではなく里親の家庭で暮らせるように取り組むなど改革をリードしてきた。退任した今だから話せる、本音を聞いた。
略歴|藤林武史さん
1958年生まれ。精神科医。2003年から21年春まで福岡市の児童相談所の所長を務めた。西日本こども研修センターあかしセンター長。主な著書に「児童相談所改革と協働の道のり」。
――精神科医です。なぜ、児童相談所長になったのですか。
「大阪の庶民的な町で、電器店を営む両親、姉の4人で暮らす平凡な家庭で育ちました。精神科医の道に進んだのは、悩みやすい性格を克服したかったからです」
「原点は、30歳の頃に出会ったアルコール依存症の若者です。1年間カウンセリングして、断酒が続いていたので治療を終わらせましたが、その後に親に暴力をふるい服役した。出所後に会いに来てくれて、『もう一度頑張ります』と元気そうだったのですが、その半年後に彼は自殺してしまった。ショックでした。彼が幼少期に親からひどい暴力を受けたと聞いていたものの、その事実の重みに対する私の理解は浅いものでした」
「まだトラウマという言葉も広く認知されていない時代で、幼少期の虐待体験による影響も学んでいなかった。だから、彼の心の深い傷に気づけなかった。その後も深く傷ついた何人もの若者に出会い、虐待死事件の報道で『児相は何をやっているんだ』という声もたびたび聞くようになり、児相の中で子どもたちの役に立ちたいと思うようになりました。同じ頃、福岡市が児相所長を公募しており、応募して採用されました」
――就任時の児相の状況は。
「職員の中核で、親や子どもと向き合って支援内容を提案する児童福祉司は、みな異動で児相にやってきた行政職でした。生活保護担当などの経験はありましたが、子ども支援の専門的な訓練はほとんど受けていなかった。増え続ける虐待に対応しなければならず、常に疲弊感があり、多くの人が『早く異動したい』と言っていました」
精神科医から児童相談所長に就いた藤林さんは、どのような取り組みで弁護士常駐や里親シフトなどの現場改革を進めたのでしょうか。インタビュー後半では、所長の立場では言えなかった本音や、「スローガンでは子どもの命は救えない」からこそ必要な支援とは何か、そのために報道や社会に求めることなどを長年の経験に基づいて語っています。
「児相職員は、専門性を求め…
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