16世紀、渡欧してローマ教皇に謁見(えっけん)した天正遣欧使節の一人、千々石(ちぢわ)ミゲル(1569?~1633)。彼が葬られたとみられる長崎県諫早市の墓を昨年秋に発掘した民間調査団体が23日、現地でその成果を発表した。出土した人骨は、はたしてミゲルのものだったのか。
天正遣欧使節
1582(天正10)年、九州のキリシタン大名・大友宗麟、有馬晴信、大村純忠の名代として長崎からローマに出発した、千々石ミゲル、伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンの少年4人らの使節団。84年にスペイン王・フェリペ2世、85年には教皇・グレゴリウス13世と、後継のシクストゥス5世に謁見(えっけん)。90年に帰国し、豊臣秀吉にも面会した。
発掘調査をしたのは、川崎市に住むミゲルの子孫、浅田昌彦さん(68)が代表を務める民間団体「千々石ミゲル墓所調査プロジェクト」。昨年8~9月の第4次調査で、長さ約1・4メートル、幅約40センチの木棺に葬られた人骨が出土した。
長崎大医学部が鑑定した結果…