突然あらわれ、消えた集落 古代の「隠れ里」に待ち受けた過酷な現実

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編集委員・小泉信一
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 群馬県北西部の白根山麓(さんろく)にあたる中之条町入山地区(旧・六合〈くに〉村)。標高約1100メートルの高原地帯に突如築かれ、やがて消えた平安時代の集落跡があるという。一説には、兵役から逃れた人々の隠れ里だった。いつの時代も絶えない戦火の悲劇。現地を訪ねた。

 前橋市の中心街から車で約3時間。くねくねと蛇行する道が続く。カーナビに導かれ、目的地に向かったが「本当にたどり着けるのか」と不安になってきた。

 持ってきた資料によると、集落跡は「熊倉遺跡」(県指定史跡)。群馬の最奥部にあたるが、戦後になって周辺に開拓集落が形成されたことで存在が明らかになった。耕作地内にポツン、ポツンと住居跡のくぼ地が確認され、土器片が出土したという。

 私が訪ねたのは今月9日。雪解け水でざわめく水辺に、春の柔らかな日差しが反射する。日当たりの良い急斜面では、クマザサが濃緑の葉を見せていた。車を止めてしばらく歩くと、「熊倉遺跡」と書かれた看板が立っていた。

 群馬大の尾崎喜左雄・教授の指導で発掘が実施されたのは1962~64年。二十数軒の集落跡が確認され、見つかった土器から9世紀後半(平安時代)に築かれたものと分かった。教授は「鉱業集団の集落」との説を立てたが、81年に村教委が調査を再開。その結果、別の見方が出てきた。

 参加した元県埋蔵文化財調査事業団調査研究部長で、災害考古学者の能登健さん(75)は言う。

 「鉱業を営んでいたことを裏付ける遺物は見つからなかった。硫黄の産出地も現在の草津町嬬恋村に集中し、熊倉遺跡にはない」

 そもそも遺跡が築かれたのは、律令国家として日本が経済基盤を水田稲作に置いた時代である。地形的にも米作りは難しく、土壌も貧しい標高1100メートル以上の寒冷地に、なぜ人々は集落を築いたのだろう。

 ここは「古代の隠れ里」だっ…

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