小栗旬も宇多田ヒカルも撮った先に…カメラマンを突き動かした被写体

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張春穎
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 サラリーマンになりきれず、独学でカメラを始めた。

 最初の作品の展示場所は、住んでいたマンションの1階。コインランドリーの壁だった。そこから上り詰め、音楽や芸能界などの数々の著名人を撮影するまでに。

 ただ、心をつかまれたのは、華やかな世界とは対照的な「認知症」というテーマだった。

 「誰が認知症か分からない。そう感じることが第一歩かもしれません」

 横浜市在住のコスガ聡一さん(45)は、認知症の当事者や地域の人たちが集う認知症カフェを求め、全国行脚を続けている。

 これまで訪ねてきたのは、全国300ほど。誰もが気軽に参加できて、同じ目線で世間話をしたり、料理を作ったり。

 「カフェのスタイルは、自由でさまざま。訪ねるたびに、出会いや発見があるんです」

わずか1年で退職

 本業は、フリーのカメラマン。実は、幼い頃からサラリーマンになるのが夢だった。

 大学の学部選びも、好きな歴史が学べる文学部よりも、就職活動につぶしが利くと思った政治経済学部を選んだほどだ。

 そして、1999年、就職氷河期に大手重工メーカーに就職した。

 でも、1年ほどで退社した。

 「会社員は、自分のことが自分で決められないと気づいたんです」

 何になろう。

 漫画家と小説家も思いついたが、カメラマンに決めた。

 独学だが、根拠のない自信だけはあった。

 「撮影はカメラがすることだし、才能と違って、機材はお金で買える」

スタートはコインランドリー

 東京・中野のマンションの6畳間で、一人暮らしを始めた。まだ、デジタルカメラがそれほど普及していない時代。窓に黒いカーテンをつけて、フィルムを現像する暗室も兼ねた。

 1階のコインランドリーの「壁」に注目した。

 家賃を持参する時に、家主に掛け合って、無料で借りることに。24時間営業で、スマートフォンがまだない時代。お客さんは洗濯中、時間をもてあますという「最高のギャラリー」が誕生した。

 上野動物園でキリンやゾウの写真を撮り、手焼きして飾ると、盗まれた。

 「言ってくれれば。困ったな~」と、にこにこ、ニンマリ。知らない誰かに腕を認めてもらったことが、うれしかった。

 感想用のノートを置くと、書き込みが並んだ。

 その中に、気になる言葉を見つけた。

 「映画を撮りに関西から来ました」

押しかけから縁がつながった

 これは、チャンスかもしれない。

 「その現場にカメラマンはいますか?」

 ノートに書き込んだ。パソコンも携帯電話もメールも、いまほど普及していない。ノートで文通を重ねること、数カ月。近くのビルの一室で映画が制作されていると知り、飛び込んだ。

記事の後半では、コスガさんが撮った写真とともに、なぜ認知症に興味を持ったかを紹介します。

 そこにいたのは、日本アカデ…

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