ウクライナからの避難女性が大学職員に 学生に自分の経験伝えたい

ウクライナ情勢

重政紀元
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 ロシアの侵攻が続くウクライナから日本に避難してきた女性が今月、かつての留学先だった敬愛大学(千葉市稲毛区)で職員として働き始めた。家族三人で持ち出せたのはわずかカバン三つ。女性は「学生たちに今回の自分の経験を伝えたい」と話す。

 「戦争にならないためにはどうすればいいでしょうか? 私は身近なところからだと思っています。困っている人がいたら助け合うところから平和は始まると信じています」

 ウクライナから避難してきたパンコーヴァ・オルガさん(43)は27日、敬愛大の空き教室で、ゼミの前に集まっていた学生8人に流暢(りゅうちょう)な日本語で語りかけた。

 オルガさんは2006年に同大国際学部に入学。卒業後は母国の外務省などで働き、自宅のあるキーウで母タチアナさん(68)、息子のジェーニャ君(10)の3人で暮らしていた。1月には念願の自身の日本語教室を始めたばかりだった。

 一転したのはロシア侵攻が始まった3日後の2月27日の夜。自宅の24階建てマンションから砲撃の光が見え、すぐマンション地下室に逃げた。「すごく怖かった。21世紀のヨーロッパでこんな侵攻が起こるとは思いもよらなかった」

 地下室では段ボールを敷き、見ず知らずの人たちと過ごした。攻撃を知らせる警報の合間に食料を買いにいった店は長い行列ができていた。パンは売り切れ。食料はずっと乏しく、避難した人たちで分け合った。

 地下室への避難生活をしていたのは1週間ほど。この間にも攻撃を受けた近所の建物が崩れるなど戦況は悪化し、国外への脱出を決めた。持ち出せたのは一家でカバン三つだけ。ポーランドへ出る窓口だった西部の街リビウでも警報が鳴り響き、緊張が続いた。

 たどり着いたポーランドにしばらく滞在するつもりだったが、大学の同期生から何度もメールで日本に来るよう勧められた。迷った末、子どもの将来を考えて来日を決めた。3月14日に成田空港で友人と再開し、ようやく「安全なんだ」と思えた。最初は多古町の支援者宅、月末に千葉市がウクライナ避難者に用意した市営住宅に移った。

 友人たちからは寄付金や生活用品の多くの提供を受けた。ランドセルなどのプレゼントを受けたジェーニャ君は市内の小学校に通いながら、ウクライナの小学校のリモート授業も受けている。タチアナさんは日本語が話せないが、近所の人たちが目を配ってくれることに感謝しているという。

 卒業生の避難を知った大学側は緊急雇用を決定。大学地域連携センターの嘱託職員としての勤務が決まった。今月から留学生支援などの業務やゼミなどの授業支援員として国際理解教育に携わっている。

 オルガさんは「戦争を思い出したくない気持ちはありますが、学生たちにはいまウクライナで何が起きているかを知ってほしい。苦しい思いをしても、学生たちの質問にはすべてこたえています。いつか母国にはもどりたいけど、いまは私が体験したことを多くの学生に知ってもらいたい」と話す。

 同大はオルガさんの体験や大学での活動を大学ホームページ(https://keiaijin.u-keiai.ac.jp別ウインドウで開きます)で発信していく。(重政紀元)